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2013/08/05

歴史のお話その178:栄華の時代・文化その③

<唐の文化その③>

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◎文学の隆盛・李白その②

 とにかく使者は、何とか李白を宴席に連れて来ることには成功しましたが、李白は立っていることもままならず、近くの長椅子にふんぞり返って横に成り、テーブルの上に両足を投げ出しました。
皇帝等お構いなしです。
更に横に立っていた男に命令しました。
「お前、俺の靴を脱がせろ。」
立っていた男は、高力士という宦官で玄宗のお気に入りの一人なのですが、彼にしてみれば「この俺様に対して」、と思い気分を害しながらも、李白はお客様で自分は宦官ですから、その場はしゃがみ込んで李白の靴を脱がせたのです。

 高力士はこの時の恨みを忘れません。
折に触れて玄宗に李白の悪口を告げたらしく、終に玄宗は李白を長安から追放してしまったと云います。
因みに高力士は、後に玄宗の命令で楊貴妃を絞め殺すことになる男です。
この様な事が起こっても、自由奔放な李白の性格は変わらなかったようです。

 このエピソードを李白の親友、杜甫が詩にしています。

「飲中八仙歌」
李白は一斗、詩百篇
長安市上、酒家に眠る
天子呼び来(きた)れども船に上(のぼ)らず
自ら称す、臣は是(こ)れ酒中の仙、と

 最初の句は酒を一斗飲めば、詩が百でてくる、という意味。
李白は「詩仙」と称されます。
在命中から天国から間違って地上に落ちてきてしまった詩の仙人、と云われていました。
最後の「酒中の仙」とはその部分を踏まえています。
皇帝の使者が呼びに来ても、「俺は詩の仙人、皇帝がなんだ」とうそぶいていた、という感じでしょうか。

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 杜甫(712年~770年)、李白と並び称される大詩人、「詩聖」と云われています。
李白とは正反対の性格で地味で不器用な人物、官僚になる為、縁故を求めて就職活動を続けていましが、大成しません。
詩人としては有名に成りますが。

 40歳代に成ってようやく下級官僚に成りますが、その頃安史の乱が起こって総てが水泡に帰りました。
その後は各地の有力者の世話になりながら諸国を放浪して生涯を終えました。
苦労した人物なので作品も、庶民の生活や兵士の苦労、戦乱の悲惨、その様な社会的な題材を多く取り上げています。

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 王維(701年~761年)、自然を描く詩にすぐれ、画家としても有名。
少年の頃から天才の名として名を馳せた、宴席の参加の一人で、官僚登用試験にも合格して官僚としても出世しましたが、この人物も安史の乱に遭遇して捕虜に成り、無理矢理に安禄山に仕えさせられたこともあった人です。

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 白居易(はくきょい)(772年~819年)、白楽天(はくらくてん)とも云い、前の三人より後の時代の人物です。

「長恨歌(ちょうごんか)」が有名。
先に少し紹介しましたが、玄宗と楊貴妃の悲恋を詩にしたもので、平安貴族に愛唱されたので、日本でも有名になりました。

 白居易は作詩する時に何度も推敲するのですが、その推敲の仕方が面白く、まず詩ができると、街へ出ていき道ゆく老婆をつかまえて、無理矢理詩を聞かせます。
お婆さんが「よくわからないなあ」という顔をしていたら、持ちかえって書き直し、又通りすがりの老人をつかまえて聞かせる。聞かされた人が「いいねえ」という顔をしたら完成です。

 白居易が試し聞かせる相手は皆庶民、文学の素養なんかない普通の人ばかりですから、その様な階層の人館でも感動できる作品をめざすのです。
彼の詩の特徴は平易で流麗ということですが、こういう作詩の態度からきているのですね。
日本の貴族達に持て囃されたのも、平易な文で理解しやすかったからではと思います。

 文という文学分野が中国にはあります。

 唐と次の宋の時代に文の名人が八人居り、これを「唐宋八大家」と呼び、唐にはそのうち二人がいます。

 韓愈(かんゆ)(768年~824年)と柳宗元(りゅうそうげん)(773年~819年)。
 南北朝時代は四六駢儷体(しろくべんれいたい)という華麗な文体が流行するのですが、これにたいして漢代風の骨太い文を復興しました。

唐の文化:続く・・・

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