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2013/08/08

歴史のお話その180:統一国家の成立①

<五代から宋へ①>

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趙匡胤

◎五代から宋へ

 唐が滅亡してからの約50年間の分裂時代を五代十国時代といいます。

 華北、黄河流域には開封を首都として5つの王朝が交代し、これを五代と呼びます。
その王朝は、順番に後梁(こうりょう)、後唐(こうとう)、後晋(こうしん)、後漢(こうかん)、後周(こうしゅう)の5つです。

 それ以外の地域に合計10程度の独立政権が成立しました。
この時代のほとんどの政権は、節度使が自立したもので、各政権の皇帝や王は皆軍人出身です。
戦乱の絶えない時代で、均田制が崩壊したあとの社会の仕組みに釣り合う政治の仕組みが作り出される過渡期です。

 その過渡期の混乱時、新しい時代の担い手は新興地主層で、これを形勢戸(けいせいこ)と云い、後漢以来の豪族との相違点は、豪族は南北朝から隋唐迄、連綿と続いて貴族階級を形成して行きますが、形勢戸は同じ家がずっと地主として続きません。
自作農から地主に成長する家もあれば、没落する家もあって同じ家が存続しない為、形勢戸は貴族階級には成りませんでした。
形勢戸の言葉には「成り上がり」の意味があるのです。

 又、形勢戸の大土地所有は、一円的所有では在りませんでした。
此処で一円的の意味は、一つの地域を丸ごと持っていることを云い、豪族は一円的土地所有の為、そこで働く農民は豪族に隷属して行き、更には貴族化していったのです。

 しかし、形勢戸は多くの土地を所有していますが、点在分散しており、全体を合計すれば大きな土地になるのですが、一つひとつの土地は小さく、小作農の立場からすると、何人もの形勢戸から土地を借りています。
従って、一人の形勢戸に隷属するような関係には成りにくく、形勢戸は身分的にも貴族化していきません。

 黄巣の乱で南北朝以来の貴族階級が全滅させられて以降、ずっと中国では貴族階級は登場せず、総ての人民は、同じ身分でした。

 日本で貴族が無くなったのが第二次世界大戦後、20世紀の出来事です。
中国では10世紀には既に貴族が消滅している為、この様な面では、中国は大変進んでいる社会です。

 五代最後の後周が宋に替わるのが960年、宋の建国者は趙匡胤(ちょうきょういん)(在位960年~976年)、都は開封です。

 宋が成立した時には既に統一に向けた機運は生まれつつ在ったのです。


統一国家の成立:続く・・・
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