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2013/08/10

歴史のお話その181:統一国家の成立②

<五代から宋へ②>

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清明上河図(12世紀)に於ける開封

◎五代から宋へその②

 宋成立以前、後周の時代に世宗(せいそう)という皇帝がいました。
この人は非常に有能で南北に領土を拡げていて、やがては混乱状態を終息させ、国を統一してくれるものと期待されていたのですが、三十代の若さで病死します。
代わって即位したのが幼い息子。

 心ある者は、又世の中が乱れるのかと、内心落胆したのです。
唐末以来の長い混乱でこの状態を収束させ、平和な世の中をみんなが望んでいる時に、幼い皇帝ではこの様な期待に応えられません。
軍人達も無能な皇帝に仕えることは、何の意味も無く、幼い皇帝を喜ぶ筈は在りません。

 趙匡胤は後周の軍人出身で、節度使の経験も在り、新皇帝の側で親衛隊長を任じられていました。北部国境に敵の侵入があったという報告で、趙匡胤は親衛隊をひきいて出陣します。

 此処で、少々興味深いお話が残っています。

 都の北方で宿営する彼の処へ、部下の将校達がやって来て懇願します。
「幼い現皇帝では再び混乱が起きる。貴方様が皇帝になってください」と。
趙匡胤は親衛隊長として反乱なぞ考えてもいないと断るのですが、部下達は強引で断りつづければ、自分は殺されるかもしれない。
当にその様な雰囲気に成ってきました。
そこで、やむなく皇帝に成ることを約束すると、部下達は喜んで黄色の服を持ってきて趙匡胤に着せました。
黄色は皇帝の象徴なのです。

 真意は定かでは在りませんが、趙匡胤は不承不承ながら皇帝に祭り上げられ、親衛隊を率いて都に戻り、幼い後周の皇帝から位を奪い、こうして宋は建国されたのです。

 このお話は、宋の成立した後に作られた記録なので、本当に趙匡胤が不承不承皇帝になったか否かは解りませんが、最初からその様な話を部下達と準備していたのかも知れません。
しかし、この様な芝居を準備して人民を納得させることが、必要な状況だったのです。

 余談ですが、宋は後周の皇帝一族を殺さずに丁重に保護していきます。
宋の時代に後周皇帝家は存続しており、「水滸伝」には豪傑の一人として後周皇帝の末裔が登場しています。
後周以外にも、宋が全国統一する時に進んで降伏してきた、十国の君主達も同様に丁重な扱いを受けます。
戦乱を終わらせる、余分な血を流さない、と云う民衆の願いを、宋の支配者は自覚しているようです。

統一国家の成立:続く・・・

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