2013/08/16

歴史のお話その185:宋時代の周辺国家②

<宋時代の周辺国家②>

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◎西夏

 もうひとつ10世紀末から力を伸ばしてきた民族にタングート族がいます。
ティベット系の民族で、彼等は牧畜農耕を中心の生活をしていましたが、唐末から東西交易路を押さえ、勢力を増大させます。中国から中央アジアに至る交易路上に建国します。

 彼等の建てた国が西夏(せいか)、建国者は李元昊(りげんこう)、中国風の名前ですが、タングート族なので、本来別の民族名も持っていると思われます。

 西夏は宋と長年に渡って戦争を続け、貿易上の利害関係で争うのですが、最終的には1044年、両国の間に和義が成立しました。

 このときに決められた西夏と宋の関係は、宋が君主で西夏が臣下の「宋君西夏臣」関係。
遼との「宋兄遼弟」関係に比較しても宋の格の方が高いのです。
しかし、宋が西夏に対して年毎に金品を送ることは、遼との場合と同じで、実質的には西夏に軍事力で勝つことをあきらめた宋が、お金を払って国境地帯の平和を買っている訳です。

 この西夏のタングート族も独自の文化を発展させようとの思いから、西夏文字を制定しています。
この文字も、やはり漢字をモデルにしているようですは、非常に複雑な字形で、現在総てが読めるわけではありませんが徐々に解読が進んでいます。

 こうして、宋は契丹族の遼にもタングート族の西夏にも軍事的には優位を保つことができず、金品を払って平和を維持するという外交政策をとるようになりました。

 本来、宋は文治主義を基本政策として、軍隊を強大化させないという方針でしたから、当然の結果ともいえます。
ただ、宋は、軍事的には弱体でも経済的には非常に繁栄していました。
その為、「平和を金で買う」ことが出来たのです。

◎未解読の文字について

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西夏文字と漢字

 10世紀初頭、日本では平安時代前期、延喜7年(907年)、唐は終に滅亡します。
是より、中国華北の地に五つの王朝が、盛衰を繰り返し、そのの地域でも、小国が交替する五代十国の時代と成りました。
同じ頃、モンゴル高原の東部には、モンゴル系契丹人の国が生れ、やがて契丹は、五代の混乱に乗じて、華北の地に侵入し、現在の北京、大同一帯の地域を領土に加え、更に国号を遼とします。

 一方、中国では、宋が五代十国の混乱を治め(960年)、統一国家が復活しますが、遼の国力は、宋の其れを凌駕し、じりじりと宋を圧迫します。
11世紀に成り、中国の辺境の西辺、黄河上流地方を中心に、チベット系国家が建国します。
この国家こそが、西夏であり西域との交通の要衝を治め、強勢でした。

 超えて12世紀、満州の地(東北部)にツングース系女真族(後年の清朝を建国)が、其れ迄、契丹人支配から分離独立を果たし、金を建国します。
金は、宋と同盟関係を構築して、遼を滅ぼし(1125年)、更には盟友である宋を攻め、皇帝一族を捕虜(1127年)とし、此処に宋は、一旦滅亡します。
但し、皇族の一部は、南方に逃れ、開封を都に揚子江流域以南を保ち、宋の王朝を復活するものの、華北の地は、悉く異民族である、金の領土と成りました。

 この様に、契丹、西夏、女真の各民族も中国の王朝を圧迫し、その一部を領土として猛威を振るったものの、武力は強大であっても、その文化は、到底中国に比較できるものでは有りませんでした。
彼等は、中国文化を吸収する一方で、漢字に倣って、独自の文字を創ります。
其れが、契丹文字で在り、西夏文字で在り、女真文字で在りました。

 しかし、どの文字を見ても、其の複雑さは漢字の比ではなく、漢字に似ているものの、読み方、文法も全く異なり、契丹文字は、モンゴル系言語を写したものであり、西夏文字は、チベット系のもので在りました。
彼等の国家では、この文字が正式な文字とされ、公文書の作成は、この複雑な文字が用いられたのです。

 其の読み方に関して、現在迄、数多の研究が進められ、その結果、是等の複雑な文字の構成法は解読され、特に西夏文字は、日本の西田竜雄氏によって、解読されました。
しかし、契丹文字や女真文字は、未だ未解読のまま残されています。

 文字を創るという行為は、民族としての自覚が高くなった結果に相違ないものの、是程に難解な文字を創り、又読みこなせたのでしょうか?
余りに使い難い文字で在った為、国の崩壊と供に忘れられ、誰も読む事が不可能に成るのです。
文字は、使い易くしなければ、普及しません。
日本の「かな」文字の発明が、どれ程、日本文化発展に貢献したでしょうか。

 13世紀のモンゴル人は、ウイグル文字(トルコ系)を真似て、モンゴル文字を創り、後に清朝を建国した、女真族は、更にモンゴル文字を真似て、満州文字を創りました。
この満州文字は、「かな」と同様に表音文字で在り、15世紀に成立した朝鮮文字(ハングル)と供に、後世迄残りました。
中国と接する南の国々、特にベトナムも、日本、朝鮮と同様に中国文化の影響を強く受け、ベトナムも漢字表記では「越南」で在り、「胡志明」と書いてホー・チミンと読み、「奠辺府」と書いてディエンビエンフーと読みました。

 やがて、14世紀には、漢字を利用して、ベトナム語を表記する独特の文字(チュノム)を創りましたが、漢字をそのまま使用したものも在れば、字画を簡素にしたもの、或は合成したものも在りますが、実際に使用するには、不便だったと思われ、事実、フランスがベトナムに進出する様に成ると、ローマ字でベトナム語を表記する事が、一般に普及したのでした。

 中国を廻る諸民族の文字は、何れも簡略化の道を辿りますが、契丹と西夏、更に女真は、殊更に複雑な字形を創り、普及されぬまま、文字も国家も滅亡したのでしょう。
是等の文字も何れ解読される時が、来るのでしょうが、西夏文字を除き、解読不可能な文字として、現在も残っています。

宋時代の周辺国家:終わり・・・
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