2013/08/25

歴史のお話その191:宋の終焉とその後⑤

<南宋・宋代の社会と文化②>

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◎宋代の社会と文化

 北宋、南宋を一つとして社会の特徴と文化を検証。

※官僚

 宋代は、貴族階級が無くなりますから、皇帝の権力を押さえる勢力は存在しません。
皇帝一人だけが強大な権力を握りますが、その皇帝のもとで実際に民衆に対して権力を振るうのが官僚です。
ある意味では、官僚が支配者と言っても過言では在りません。

 官僚は戸籍上「官戸」とされて税制上の特権を持ちます。
一種の特権階層ですが、その特権は「家」に与えられたものでは無く、科挙に合格した「個人」に与えられるものです。
この部分が、貴族と違う処です。

 官僚は科挙に合格しているわけですから、一流の知識人、学者、読書人でも在ります。
学問があると云う事は、人々から尊敬され、地域社会の指導者として信望を集めるような存在です。その為、官僚である彼等は「士大夫(したいふ)」と呼ばれます。

 又、学問を修める為には、家に経済的余裕が無くては成りません。
士大夫と呼ばれる人達は、宋の時代には形勢戸と呼ばれる、ほとんど地主出身です。
宋の時代の支配社会層は、官僚としては官戸と呼ばれる特権者であり、地域社会では士大夫と呼ばれる知的指導者、経済的には形勢戸と呼ばれる地主、この三つ面をもった階層として理解出来ます。

 これに対して被支配者階層は自作農と「佃戸(でんこ)」と呼ばれる小作人です。

 魏晋南北朝から唐迄の時代と違う部分は、この支配者と被支配者の関係が固定的ではなかったことです。
地主であっても何代も官僚を出さなければ没落する事も在り、小作農であっても優秀な子供が出て、科挙に受かれば一気に資産家に成り上がる事が可能でした。

 中国社会は一族の繋がりが強いので、一族の中に飛び抜けて頭の良い子が居る場合、親族郎党一同で勉学資金を出し合い、良い先生に就けて科挙を目指させるのです。
結果として、支配者階層に入る人達は、何十年か経つと入れ替わりが行われ、貴族階級として支配者が固定化しない訳です。

※農業

 宋の時代は農業生産量の増大が著しく、特に江南、長江の下流域を中心に開発が進みます。
 「江浙(こうせつ)熟すれば天下足る」とは当時の諺です。
長江下流地方が豊作ならば、他の地方が凶作であろうとも国中が飢えに困ることはない、その様な意味です。

 この時期には占城稲(せんじょうとう)、チャンパ米とも呼びますが、この種類の米がベトナム方面からもたらされました。
この品種は干害に強く中国南部の稲作地帯に急速に広がり、特に成長が早かった為、一年二毛作、二年三毛作なども広まり、食糧の増産が可能になった。

 茶の栽培もおこなわれるようになります。
飲茶の風習は唐代から広まるのですが、茶はあってもなくてもよい嗜好品ですから、本格的に栽培されるようになったということは、食料生産に余裕が生まれてきたことの結果でもあるわけです。

宋の終焉とその後:続く・・・


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