2013/08/25

歴史のお話その192:宋の終焉とその後⑥

<南宋・宋代の社会と文化③>

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※商業

 唐代には商業活動に対しては政府の制限が存在していました。
例えば、長安には東西に市が設けられていましたが、それ以外の場所で店舗を構えて商売は出来ません。
更に、営業時間も正午から日没迄に制限されていました。

 宋代にはいるとこの様な制限は無くなります。
何処に店を構えても良く、営業時間も無制限、地方にも市が立てられる様になり、これが商業都市へと発展してきます。
是等の市が草市(そうし)と呼ばれ、田舎の市と云う感覚の言葉です。
唐末五代の戦乱期に部隊が駐屯した場所にも商業都市が発展し、これを鎮(ちん)と呼びます。
現在の中国の地名で何々市、何々鎮、と呼ばれる所は宋代以降に発展した比較的新しい都市だと思って間違いありませんし、この草市の市という単語が日本語に入ってきているのです。

 同業組合も発達し、「行(こう)」が商人の組合、「作(さく)」が手工業者の組合で、行と云う単語は日本語では「銀行」という単語に使われています。

 商工業の繁栄は当然貨幣経済を進展させ、宋の時代は銅銭が大量に鋳造された。
銅銭は金貨や銀貨と違って小銭で、銅銭が大量に作られると云う事は、多くの庶民が必要としたという事なのです。

 宋代の銅銭を特に宋銭と呼びますが、この宋銭はアジア全域から大量に出土します。
日本も平安時代の末期、平清盛が熱心に日宋貿易を行い、この時大量に宋銭を輸入しています。

 日本では皇朝十二銭と云う銅銭を鋳造、流通させていたのですが、やがて独自の貨幣発行を止めてしまい、その日本で流通したのが宋銭です。
(経済的に貧しい国で、自国の貨幣の信用が無く、ドルや円が幅を利かせている何処かの国を連想します。)

 今でも、地方の旧家の土蔵の中から宋銭が沢山入った古い壺が見つかったりしますが、趣味の古銭屋の店頭でも、安価に売られている様です。
其れは、宋代の経済活動が活発に、東アジア地域で行われていた証拠でも在ります。

 小銭が銅銭とすれば、大きな金額は紙幣でしょうか?
紙幣が初めて登場するのが宋の時代です。
北宋時代の紙幣を「交子」南宋時代は「会子」と呼び、此等は民間で使われていた手形が発達してできた物です。

宋の終焉とその後:続く・・・

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