2013/08/26

歴史のお話その193:宋の終焉とその後⑦

<南宋・宋代の社会と文化④>

※文化

(1)儒学

 学問の中心は、やはり儒学ですが、新しい展開があります。
儒学は処世訓の寄せ集め的な面が強いのですが、宋代になって理論が体系化されます。
これは仏教に対抗する必要が在った為なのですが、仏教の様に儒学も独自の世界観、宇宙観を持つように成ります。
一般に此れを「宋学」と呼びます。

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 宋学を大成した人物が朱熹(しゅき)若しくは朱子(1130年~1200年)。

 朱子は、宇宙を原理と運動の二つから成り立つと考えました。
原理の事を「理」、運動の事を「気」と呼び、この理論を「理気二元論」と云います。

 人間の本性は、「理」なのか、其れ共「気」なのか。
朱子は「性即理」、つまり人間の本姓は理であると説きました。
「理気二元論」なので、「気」も当然ながら存在し、ならば本性が「理」なら、「気」は何なのでしょう?

 朱子は心が「気」と同様に説きます。
この心が運動して人間を悪い方向に導く、その為に、常に人間は動かない物体を研究して、本性である「理」を確認しなければなりません。
そのために儒学と云う学問を学び続けなければならず、物を究めて知識を確実にして修養を積む、この行いを「格物致知(かくぶつちち)」と云います。

 個人的には大変難解な理論に思えます。

 朱子にはもう一つ「大義名分論」という議論があります。
朱子は南宋の人物ですから、中国の正統政権は金ではなく南宋であると主張したいのですが、客観的に見れば両政権が中国に並立しているのであって、どちらかが正しく一方が間違っている、と云う事はないのですが、中国にいくつかの王朝が並立した場合は、一つだけ正統政権で、あとは変則的な政権だと考えるのです。
この考え方を大義名分論と呼びます。

 日本では江戸時代に朱子学が、儒学の正統とされます。
水戸藩二代目藩主、水戸光圀が、朱子学の大義名分論の立場で歴史書「大日本史を編纂させています。
ところが、大義名分論で日本史を書いていくと、どうも天皇が正統政権で徳川氏は政権の簒奪者になってしまいます。

 この部分に疑問を抱きながら、水戸藩は天皇が権力を持つべきであるとする歴史観を持ち続けます。御三家の立場とこの歴史観は、相当矛盾しますが、此れを裏付けるかの様に幕末の水戸藩は、党派闘争が激しくなって大混乱します。

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 宋学の学者でもう一人有名な人物が陸九淵(りくきゅうえん、1139年~1192年)。
この人物は朱子の「性即理」に対して、「心即理」を唱えました。
朱子が人間の「理」を曇らせると考えた心こそが「理」だと考えたのです。現代風にいえば、「心即理」は人間の主体性を重視する考えだと思います。

 陸九淵の思想は、明の時代の大学者王陽明に引き継がれ、更には日本の吉田松陰に多大な影響を与えました。
陸九淵の側に絶つ学者は、皆行動的です。

宋の終焉とその後:続く・・・

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