2013/08/27

歴史のお話その194:宋の終焉とその後⑧

<南宋・宋代の社会と文化⑤>

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※文化


(2)文学

 歴史学では北宋の司馬光が重鎮でしょうか。
旧法党の中心人物で、王安石との対抗関係に在った人物です。
この人は『資治通鑑(しちつがん)』とナス名付けられた歴史書を編纂しますが、編年体と呼ばれる書法で書かれていることが特徴です。

 司馬遷の『史記』以来、中国の歴史書は紀伝体で書かれていました。
紀伝体は基本的には人物中心な為、時間の経過に沿って如何なる事件が起きていたのかが解りにくいのです。
『資治通鑑』の編年体は、時間系列で事件を順番に記述し、事件の流れが大変理解し易くなりました。しかも、ただの年表では無く、読んで興味を引く様に叙述に工夫が凝らされ、これ以後、編年体は紀伝体とならぶ歴史書の形式になりました。
『資治通鑑』は、戦国時代から五代十国時代迄を描いた大著です。

 散文学では「唐宋八大家」の欧陽脩(おうようしゅう)、蘇軾(そしょく)、蘇轍(そてつ)、王安石が有名です。
蛇足ですが、王安石は一流の文章家でも在り、司馬光、王安石、大政治家は同時に大文化人なのが良く判ると思います。

 韻文では「詞」が大流行します。
唐代の韻文は「詩」で、之を「唐詩」と呼び、宋では「宋詞」と呼びます。
詞と詩の違い、此れは重要です。
現代の日本でも、この二つの言葉は厳格に使い分けが成され、改めて簡単に説明すれば、国語の教科書に載るのは詩、音楽の教科書に載るのは詞なのです。

 メロディが付いて歌われるのが詞、メロディが付かないのが詩です。
 唄をうたうのはいつの時代でも庶民の楽しみの一つです。宋の詞というのは、庶民が歌った流行歌と考えたらわかりやすいと思います。唐詩は貴族の社交道具です。

 宋代は都市の賑わいと同時に、詞の流行等、庶民が経済や文化の担い手として登場してくる時代なのです。

(3)絵画・陶芸

 北宋末期の皇帝徽宗は政治家としては問題の多い人物ですが、芸術の才能は秀でたもので、宮殿内に画院と云う工房を作って絵を作らせます。
この流派を「院体画」もしくは「北画」と呼び、緻密で、あでやかな画風です。
徽宗は皇帝に生まれなくても芸術家とし名を残したかもしれません。

 院体画とは別に「文人画」もしくは「南画」と呼ばれる絵画も発展しました。
画家では牧谿(もっけい)が有名、渋い墨絵で、禅僧の描く絵が殆どこの流派です。

青磁、白磁がこの時代の代表的な陶磁器です。
中国人は磁器の持つ透明感を好む様で、春秋戦国時代の玉器を磁器で再現したいのではないかと思われます。
青磁、白磁は西アジアから東アジア全体に輸出され、この青磁を朝鮮半島、高麗で再現しようとしたのが高麗青磁です。

(4)宋代の三代発明について

 木版印刷・火薬・羅針盤
総てが宋の時代に発明されたか否かは、今ひとつ研究調査が必要ですが、宋の時代には実用化されていた。
 やがて、是等はヨーロッパに伝わり、火薬はヨーロッパで鉄砲・大砲に使用され、羅針盤はコロンブス達の大航海時代に大きな力を与えることになります。
羅針盤を頼りにアジアやアメリカ大陸に訪れたヨーロッパ人は、鉄砲を使って征服を行います。
本家の中国人がその様な行動に出なかったことを考えると、文化の違いというものを考えてしまいます。


宋の終焉とその後:終わり・・・

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