2013/08/28

歴史のお話その195:蒼き狼の帝国①

<モンゴル帝国の成立①>

utagakikoeru_convert_20120123194237.jpg

◎モンゴル帝国の成立

 契丹族の遼帝国が金の攻撃によって滅亡した12世紀以降、モンゴル高原には、遊牧民の部族が分立、抗争を繰り返していました。
その数多の部族の一つにモンゴル族が在りました。

 モンゴル人、モンゴル高原、現在も使っている言葉ですが、この当時にはその様な意味では使用されていません。
是等の言葉は、モンゴル族が遊牧諸部族を統一して帝国を建国しその名前を知られる様に成った後、使用された民族名であり、地名なのです。

 当然ながら、当時のモンゴル部族そのものは数多の部族の一つに過ぎませんし、特に有力な部族でも在りませんでした。

 当時のモンゴル人の様子を紹介した南宋の記録には、以下
 「金は三年毎に兵を遣わして北に向かって討伐をする。これを《減丁》という。
今でも中原(黄河下流地方)の人はこのことをよく覚えている。20年前には山東や河北の家では皆モンゴル人を買って奴碑としたものだった。彼らは皆金軍が捕えてきた者達である。」
蒙韃備録:1221年

 この記録に在る様に、金の奴隷狩りの対象に成っていた部族だった様です。

 この弱小モンゴル部族を統一するのがテムジンです。
やがて、彼は他の諸部族も統一し、分裂していたモンゴル高原の諸勢力をまとめ上げました。
1206年、クリルタイで大ハーンの地位に就きチンギス・ハーンと名乗ることになります。

 クリルタイは遊牧諸部族の族長会議で、ハーンは王の称号、チンギスの意味はわかっていません。

 遊牧生活は「遊」という字が入っているので、牧草を求めて移動するイメージがありますが、実際には遊牧する場所は、夏営地、冬営地と、集団毎に決まっており、季節毎にテントを持って同じ場所を往来するのが基本です。

 モンゴル高原は、私達が想像するようにどこまでも緑の草原が続いている場所ばかりではないのです。
岩場も在れば、砂漠に近い場所もあり、誰もが少しでも条件の良い場所で遊牧がしたいと思います。しかし、幾つもの集団が条件の良い場所に集中した場合、牧草は直ぐに食べ尽くされてしまいますから、どうしても良い場所は取り合いになりますね。

 遊牧社会全体を統率する強大な権力者がいる時代は、争いにならないように集団毎に牧草地を割り振っていきますが、そうでない時代には、諸集団は常に争いあっています。
テムジンの少年時代はまさにその様な時代で、モンゴルの戦国時代と考えて良いと思います。

蒼き狼の帝国:続く・・・

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント