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2013/08/30

歴史のお話その197:蒼き狼の帝国③

<モンゴル帝国の成立③>

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◎モンゴルは何故強力な力を保持したのか

 チンギス・ハーンの死後もモンゴルの発展は続きますが、何故モンゴル軍は戦争に強かったのでしょう。

 チンギス・ハーンは「千戸制」という軍団組織を作り上げました。

 「人類始まって以来、現在に至る迄モンゴル軍の様な軍団はかつて存在しなかった。彼らは困苦に耐え、快楽を喜び、命令に忠実である。それは賃金や封土や収入や昇進目当てではない。(中略)出征に際してはその目的の為に必要な総ての品物を点検する。(中略)点呼の時には装備の検閲を受け、少しでも欠けたものが有ると責任者は処罰される。(中略)軍隊の召集や点呼の制度が完備しているので徴兵薄や徴兵担当官を置く必要がない。総ての兵士は10人の組に分けられ、その1人が長となって他の9人を指揮する。10人の十戸長から1人の百戸長を選び、100人がその指揮下に入る。1000人で千戸、10000人で万戸を作り、万戸の長をテュメンという。」
ジュワイ二ー「世界征服者の歴史1」より

 この様に組織化された軍団が、チンギス・ハーンの意のままに行動し、この千戸制は軍制だけでなく、日常の行政組織でもありました。

 千戸制のシステムによって集められた兵士達は、総て軽騎兵ですから、機動力は抜群でした。
モンゴル兵は一人で五・六頭の馬をつれて従軍します。
騎馬軍団が遠征し、ずっと同じ馬に乗り続ければ、馬も疲れて潰れてしまいます。
その様な状況に成れば、兵士はその馬を乗り捨てて予備の馬に乗り換え、この様にして次々と馬を乗り換えて行軍しますから、敵の不意をつく速さで戦場に到着して攻撃をすることが可能でした。

 ホラズム王国を攻略した時等は、モンゴル軍から包囲攻撃された都市が、別の都市にモンゴルが侵略を知らせ、知らせを受けた都市が防備を固めようと準備をしていると、もう地平線の向こうからモンゴル軍が迫って来る状態なので、敵軍に軍備を調える余裕さえ与えません。

 乗り捨てられた馬達はどうなるのでしょうか?
馬には鳩や犬と同じ様に帰巣本能が在り、放っておけば、勝手に故郷に帰るのです。
遠征を終り兵士が家族の元に戻ってみると馬の方が先に帰っていることに成るのです。

 機動力を高める為には余分な装備は持たず、荷物をできるだけ軽くした方が良いのは当然です。
又、遠征途中で馬に食べさせる牧草が無くては成りませんから、チンギス・ハーンに限らずモンゴルの皇帝達は遠征計画が決定すると、遠征実施一年以上前から遠征予定進路上での遊牧を禁止します。モンゴル帝国のどの家族もその土地で遊牧はできない。
そうやって遠征軍の為に牧草を沢山生やしておくのです。

 兵士の装備は次のようなものです。

 革製鎧・兜、太刀・短刀・矢、馬(5~6頭)、手斧、やすり・キリ、釣り針・糸、引き綱、鉄鍋、革袋(水入り)、防寒毛皮マント、テント・敷物、干し肉・チーズ

 兵士達が日用品を自分で補修しながら遠征している感じが伝わってきますね。

蒼き狼の帝国:続く・・・


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コメント

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こんばんは

機動力の高い組織。
そこには他にはない独自の仕組みがあったということですね。