2013/09/02

歴史のお話その199:蒼き狼の帝国⑤

<モンゴル帝国の発展①>

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モンゴル軍のポーランド侵攻

◎モンゴル帝国の発展

 チンギス・ハーンの死後大ハーンの位を継いだのが、オゴタイ・ハーン(在位1229年~41年)です。
彼の時代に金国を征服し(1234年)、モンゴル帝国は一層の発展を遂げました。

 国家建設が進むに従い、統治機構を整える必要が当然ながら発生します。
金国を征服することにより、それ迄経験しなかった大規模な農耕地域を支配することにも成り、先に紹介した契丹族の耶律楚材等を登用して中国人を支配する機構を整えて行きました。
契丹族も非農耕民でありながら中国を支配した経験がある民族です。

 又、オゴタイ・ハーンの時代にモンゴル高原北部に都カラコルムを建設しました。
しかし、都を造りましたが、オゴタイ・ハーンは壁に囲まれた宮殿に住むことが窮屈で仕方が無く、宮殿脇の草原で相変わらずテント暮らしをしていたと記録されています。
外交上の式典等必要な時だけ宮殿に出向いたと云います。

 チンギス・ハーンの子供達、特にオゴタイが第二代大ハーンに成った経過は次の通りでした。

 チンギス・ハーンには四人の男児が居ました。
年嵩から順番にジュチ、チャガタイ、オゴタイ、トゥルイで、必ず長男が相続する中国の様な、制度化された相続制度は、モンゴル人には存在せず、末子相続が一般的だったと思われます。

 理由として考えられるのは、農耕民族の様に土地を相続するということは無い為、子供は成長したらある程度の馬や羊を親から分けてもらって一人立ちをしていきます。
長男から次々独立していく為、最後に末子が残り、親が死んだ時残った家畜の群を末子がそのまま相続することになります。

 この形式をハーン位継承に当てはめれば、トゥルイが大ハーンになるのですが、それに関しては、はっきりした決まりが無く、遊牧民の指導者としてふさわしい者を有力族長会議であるクリルタイで決定することになります。

長男のジュチは、暗黙のうちに、最初から跡継ぎとしては除外されていました。
何故なのでしょう?
彼の出生には因縁が在り、未だ弱小勢力だった頃、チンギス・ハーンは対立部族に襲われて新婚早々の妻を略奪されたことが在り、一年後に、彼は復讐を果たし、奪われた妻を取り返すのですが、そのとき妻は懐妊しており、その結果、生まれたのがジュチでした。

 チンギス・ハーン自身、そのことでジュチを差別したりはしません。
他の息子と同じように扱っていまが、この話は公然の秘密でした。
誰も口には出さないけれど皆が知っていた為に、ジュチの相続はありえませんでした。
因みにジュチと云うのは「客人」の意味で、出生を考えると、意味深長な名前ですね。

蒼き狼の帝国:続く・・・


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