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2013/09/04

歴史のお話その201:蒼き狼の帝国⑦

<モンゴル帝国の発展③>

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◎モンゴル帝国の発展その③

 第四代モンケ・ハーンの時代に成り、モンゴル帝国は遠征を再開しました。
モンケは二人の弟、フビライとフラグにそれぞれ東と西の遠征をおこなわせたのです。

 フラグの西アジア遠征は、イスラムのアッバース朝を滅亡させました。
アッバース朝は500年も続いたイスラム教の中心的王朝の為、滅亡の事実は西アジアのイスラム世界に大きな衝撃を与えました。

 フラグの遠征軍の一部はエジプト迄侵入したのですが、この時モンケ・ハーンが崩御し、フラグには帰還命令がでます。
フラグも先のバトゥと同様にモンゴル高原迄帰還せず、イランに留まり、この地にイル・ハン国を建国し、西アジア全体を勢力範囲におきました。

 一方、もう一人の弟フビライはチベット、雲南方面の吐蕃、大理を征服し、西南方面から中国の南宋を攻略します。
この対南宋戦にモンゴルは大軍を投入し、各方面から作戦を展開しており、モンケ・ハーン自身も出陣して南宋戦を指揮していての病死でした。

 モンケの出陣中、カラコルムに居残り国政を任されていた人物が、フビライ、フラグ達の更に下の弟、アリクブケなのですが、彼がモンケの死後大ハーンになる最有力者でした。
即位の為のクリルタイを召集し、フラグも同様なのですが、フラグの場合は余りにもカラコルムから遠く離れており、モンゴル高原に帰って政争に巻き込まれるより、西アジアに自分の国を建国する選択をしたのです。

 しかし、フビライは対南宋戦で指揮下にある大軍を背景にして、強引に大ハーンに就こうとしました。
彼は、アリクブケのクリルタイに参加せず、自分の支持者だけでクリルタイを開き、大ハーンに即位します(1260年)。
アリクブケは、フビライに対抗してカラコルムで別にクリルタイを開き大ハーンに即位しますが、彼は政治的にも、軍事的にもフビライの敵ではなく、4年後にはフビライに降伏しました。

 こうしてフビライが、正式な第五代目の大ハーン(在位1260年~94年)に成りました。

 モンゴル帝国は、モンゴル人の支配地域が拡がるという意味では、急速に発展しています。
しかし、一方で内部ではチンギス・ハーン一族の結束は次第に緩くなり、或いは対立する様にも成って来ました。
一族が建国した国を見ていくと、チンギス・ハーンの長男ジュチ家は、バトゥが南ロシア平原にキプチャク・ハン国を建国。
次男チャガタイ家は中央アジア(トルキスタン)を中心にチャガタイ・ハン国と呼ばれる支配地域を形成しています。
三男オゴタイ家は、西北モンゴリアにオゴタイ・ハン国を建国。
四男トゥルイ家は、フラグが西アジアにイル・ハン国を建国。
そして、フビライが大ハーンとして四つのハン国を束ねると同時にモンゴル高原から中国北部、チベット方面を直接支配しています。

 モンゴル帝国はこの段階でチンギス・ハーンの孫達がそれぞれ支配している所領の緩やかな結合体に成っているのです。

蒼き狼の帝国:続く・・・

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