2013/09/08

歴史のお話その204:蒼き狼の帝国⑩

<モンゴル帝国の発展⑥>

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◎元の侵略行為

 元は、元寇で日本と大いに関わりが在ります。
鎌倉時代、二度の侵略行為が行われていますが、一回目が1274年、文永の役、二回目が1281年、弘安の役なのです。

 何故、この時期に日本侵略が行われ、そしてフビライの目的は何処に在るのでしょうか?

 朝鮮半島に位置する高麗が、モンゴルに服属したのが1259年、高麗王朝は江華島に逃れて徹底交戦を続けていたのですが、最終的にモンゴルの属国に成り、高麗王はモンゴルの皇族から妃に迎えて王室にモンゴルの血が入り込むようにさえなるのです。

 処が王朝がモンゴルに降伏しても、軍隊は納得せずに半島の南西海岸を転々としながらモンゴル軍に抵抗を続けました。
この高麗軍を三別抄(さんべつしょう)軍と呼び、三別抄軍は海上の島々を根拠地にしたので、モンゴル自慢の騎馬隊も苦戦したのです。

 この三別抄軍が最後に殲滅された年が1273年、ようやくモンゴルは朝鮮半島を平定できたわけで、その翌年に第一回目の日本遠征、文永の役となります。

 フビライは1271年と1273年に女真族出身の政治家、趙良弼(ちょうりょうひつ)を外交使節として日本に派遣していますが、趙良弼は鎌倉幕府の回答をもらえないまま、帰国している。
その時の鎌倉幕府の対応は、外交としては実に無礼なもので、完全にモンゴルを無視する態度でした。フビライはそれに怒って日本遠征をした・・・・・訳ではないのです。

 当時元は、南宋攻略の真只中に在り、日本へ兵を動員すれば、東シナ海経路で南宋を攻めることも可能となる為、日本を含んだ対南宋包囲網形成が第一回遠征の目的でした。
しかし、この遠征は失敗に終わりました。

 その後1279年に南宋は滅亡し、その二年後に第二回日本遠征です。
ではこの時の目的は?
南宋を滅ぼした後、元は旧南宋軍の処理に戦後処理に行き詰まりました。
南宋は元との戦争で大軍を抱えており、南宋が滅んでも、その兵士達は相当な規模の人間が残っており、彼等に仕事を与える為の日本遠征と考えられています。

 フビライにとって第二回遠征は成功すれば日本を属国化できますし、負けて大軍が消滅すれば、それはそれで南宋問題に終止符が打てることに成ると考えていた様子が在るのです。

 第二回の遠征軍の兵士達は船の中に鋤、鍬等の農具を持ち込んでおり、彼等は日本を征服した後、そのまま故郷には帰らず、日本に住み着いて農業をする予定だったとも考えられます。

 この二回目の遠征も失敗するのですが、二回も続けて失敗した原因は何故なのでしょう?

蒼き狼の帝国:続く・・・


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コメント

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こんばんは。
とんかつくんへの温かいコメント、励まし
ありがとうございます^^
ブログ開設当初から見て頂いて本当に
感謝しています。気力は最初より高まって
きていますので、必ず良くなると信じて
見守って行きたいと思いますので、今後とも
宜しくお願いしますね。