2013/09/09

歴史のお話その205:蒼き狼の帝国⑪

<モンゴル帝国の発展⑦>

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◎元の侵略行為その②

 神風が吹いた、と一般には云われています。
 しかし、失敗の原因は元軍の構成にあるようです。
元寇を防ぐ為に戦った竹崎季長(たけさきすえなが)が、自分の活躍を描かせた『蒙古襲来絵詞』という絵巻物があります。
モンゴル軍の貴重な絵画資料なのですが、攻めてくるモンゴル兵は歩兵で、迎え撃っている鎌倉武士が騎兵です。
モンゴル軍は騎馬軍団だからこそ強かったのですが、これでは反対です。
モンゴル軍が騎兵ではないのは、船に乗ってきたから当たり前なのですが、理由はそれだけでしょうか?

 私達は、元寇と聞くと、直接モンゴル人が攻め込んで来た様に思ってしまいますが、当時のモンゴル人人口はどの程度なのでしょう。
チンギス・ハーンの時代に70万人と云われていますから、フビライの時代には、領土も増え、当然純粋なモンゴル人の人口も増えているとして100万人位でしょうか?
この人口で、西はロシア、シリアから東は朝鮮半島に至る迄、インドとインドシナ半島を除く全ユーラシア大陸を支配していると云うことは、広大な領土に彼等は分散しており、日本遠征に純粋モンゴル人が何人位参加していたのでしょう。

 司令官階級には、モンゴル人も多くいたと思いますが、一般兵士の殆どモンゴル人ではないと思った方が実体に近いと思います。
モンゴル軍は、モンゴル帝国が拡大するに従って、雑多な民族の混成軍に成っているのです。

 例えば、『蒙古襲来絵詞』の中に顔の黒いモンゴル兵が何人か出てきますが、これは明らかに意識的に黒く描いています。
顔つきはモンゴロイドですが、何故、黒いのでしょう?
中国では宋の時代、犯罪者は顔に入墨を入れられ、刑罰代わりに強制的に兵士にされていたのです。
黒い顔に描かれているのは多分彼等ですから、金朝か南宋の出身と見て間違い在りません。

 第一回遠征軍の主力は高麗人です。
高麗の三別抄軍はその前の年までモンゴル軍と戦っており、遠征軍の中身がとても上手く行われているとは思えず、しかも、海軍の経験のないモンゴル人が司令官です。
 
 第二回になると旧南宋の軍人も大勢混じり、彼等は、遠征軍とは名ばかりで棄民に近い為、士気が高かったとは思えないのです。

 モンゴルに服属したばかりの諸民族の混成軍が朝鮮半島、中国大陸別々の場所から出発して対馬沖で合流し、陸上生活と違って、船上ですから、各軍団の司令官同士の意志疎通や連絡も上手く行きませんでした。

 一言でいえば、元寇のモンゴル軍は「烏合の衆」、ということです。
しかも、水軍に不慣れで、遠征軍の乗った船が第二回では4400隻と云いますが、その多くは突貫工事で、高麗の船大工につくらせたものです。
急造の粗悪船が多く、その為、記録にも残らない様な、僅かな風でも船が大きい被害を受けたり、司令官達が混乱したりしたのではないでしょうか?

 フビライは1287年にはビルマ遠征とヴェトナム遠征、1292年にはジャワ遠征を行いますが、全て失敗しています。
拡大し続けてきたモンゴルの勢いが、人的にも経済的にも限界に近づいていたのかもしれません。

蒼き狼の帝国:続く・・・


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