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2013/09/10

歴史のお話その206:蒼き狼の帝国⑫

<モンゴル帝国の衰退>

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◎元朝の衰退と滅亡

 元は14世紀中頃から、宮廷内での内紛が激しくなります。
又、チベット仏教に対する信仰が深く成り、大規模な寺院の造営が相次ぎ財政を圧迫しました。
財政難を乗り切る為に交鈔を濫発した結果、中国経済は混乱して各地で反乱が続発します。

 特にマニ教と仏教を混合した白蓮教が、一般民衆に浸透していて、この白蓮教を中心にした反乱が大きく、これを紅巾(こうきん)の乱と呼びます。
赤色の頭巾を巻いていたのでこの様に呼ばれました。

 元は当初、各地で起こる反乱を鎮圧しているのですが、その内、鎮圧行動が消極的に成っていきました。
中国人から搾取の為に支配しているにも関わらず、反乱鎮圧に明け暮れていたのでは、中国支配の意味が在りません。

 1368年、モンゴル人達は中国を放棄して、モンゴル高原へ退去しました。
元は滅んだのではなく、去って行ったのです。

 代わって漢民族の王朝である明が成立するのですが、その後も元は、北元、タタールと呼ばれてモンゴル高原に存在し続けて行くのです。

 では、元以外の諸ハーン国はどの様に成って行ったのでしょうか?

 オゴタイ・ハン国は14世紀初頭にチャガタイ・ハン国に併合されて消滅し、後年そのチャガタイ・ハン国は東西に分裂、特に西部ではイスラム化と定住化がすすんでいきます。
政治的にも解体が進み、ティムールによって滅ぼされた。

 キプチャク・ハン国は、イスラム化して14世紀前半には最盛期を迎えますが、15世紀末には領内のスラブ人国家モスクワ大公国が独立、又配下の部族がそれぞれにハン国を形成し自立していき16世紀には消滅しました。

 イル・ハン国は13世紀末に即位したガザン・ハンの時にイスラム教に改宗し、大臣ラシード・アッディーンが行政・財政で国家運営を支えました。
ラシード・アッディーンは歴史家としても有名で、モンゴルの歴史を軸にして『集史』と云う世界史の本を書いています。
イル・ハン国は14世紀中葉には、フラグの血統が絶え分裂しました。

 諸ハーン国では、モンゴル人の数は圧倒的に少数でした。
その為、広い地域を統治する為には土着勢力と協力しなければ上手く行きません。
婚姻関係を結び、その土地の宗教を取り入れ、具体的にはイスラム教ですが、信仰した方が上策です。こうして何世代か経つうちに、モンゴル王族の血統も土着勢力の中に吸収され、なし崩し的にモンゴル帝国は衰退していったのでした。

蒼き狼の帝国:終わり・・・

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