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2013/09/16

歴史のお話その211:語り継がれる伝説、伝承、物語①

<歴史に現れる名文句:誤って伝えられた言葉>

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◎イングランド人とは小売商人の国民である・ナポレオン・ボナパルト

 この言葉は、一般にナポレオンが話した言葉とされ、プチ・ブルジョア(小企業家)国民としてのイングランド人に、彼が抱いていた軽蔑心の表れと解されています。

 しかし「小売商人の国民」乃至商人集団との表現は、ナポレオンの少年時代から既に印刷物に書かれていました。
従って彼の独創になる言葉とは、言いがたく、まず1766年、イングランドの経済学者ジョサイア・タッカーが政治論文の中で使用し、次には、スコットランドの経済学者アダム・スミスが「国富論」(1776年)で用いたのでした。
又、アダム・スミスと同年代に、フィラデルフィアでは、サミュエル・アダムスがこの言葉を使っています。

 後年、ナポレオンが流刑された頃、この言葉は二人の伝記執筆者のせいで、彼が喋ったものとされる様に成りました。
ナポレオンの医師バリー・オマーラは自著「流刑地のナポレオン、若しくはセント・ヘレナからの声」に1817年2月17日のナポレオンとの対話を載せ、その中で彼がイングランド人について「彼らは商人の国民である」と語ったと書かれています。

 ナポレオンがこの意見に同感していたとは言え、言葉自体はコルシカの愛国者バスクワーレ・パオリ(1725年~1807年)の言葉の引用として語られたものなのです。

又「購買力のある需要国民を育て上げると言う、唯一目的の為に広大な植民地を建設する事は、一見、小売商人の国民にのみかなう計画に見えるかもしれない」と書いたのは、アダム・スミスで、ナポレオン自身彼の著作を良く知っていました。

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◎お菓子を食べさせておやり・マリー・アントワネット

 1789年10月、より公正な新政府をルイ16世に作らせようと、パリの貧しい女性達が、ベルサイユ王宮に行進しました。
伝説によれば、屋外に騒ぎを聞きつけた王妃、マリー・アントワネットは、人々がパンも無く飢えている事を聞いて、”Qu’ils mangent de la brioche”と言いました。
この言葉が一般に「お菓子をたべさせておやり」と伝えられる様になったのです。

 この話は王妃の処刑後、広く伝わり、貧民の苦しみに対する彼女の冷淡さと、愚かさの典型と見なされました。
しかし、彼女がその様な言葉を発した証拠は、何処にもありません。

 この言葉が始めて出現したのは、1760年代、ジャン・ジャック・ルソーの「告白録」中であり、マリー・アントワネットはまだ少女の時代でした。
文中でルソーは、「或る偉大な王女」について語っています。
彼女は、農民にパンが無いと聞いて、”Qu’ils mangent de la brioche”と答えます。
Briocheとは最上級のパンの事で、王女はこの種類のパンの事しか知りません。
従って、この言葉は、親切心の表れだったのでした。

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◎ワーテルローの戦勝は、イートン校の運動場で成し遂げられた・ウェリントン公

 初代ウェリントン公がイートン校の学生であった頃、学校には運動場も存在せず、集団競技のチームすら存在していませんでした。
しかも、彼の子孫が語ったところによれば、ウェリントン公の学校生活は、「短く、芳しい成績ではなかった」そうなので、従って彼が、最初に記載した言葉を語った可能性は、とても在りそうには思えません。

 其れを文章上で彼の発言であると、紹介した人物は、フランスのシャルル・ド・モンタランベール伯爵で、彼の著書「イングランドの政治的未来」の文中であり、この書物は1855年、ウェリントン公の死後3年経って出版されました。

しかし、ウェリントン公がその言葉を喋ったと云う、同国人の証言は存在せず、更にウェリントン公は、母校にもパブリック・スクールの精神にも大した愛着を持っていませんでした。

続く・・・

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