2013/09/22

歴史のお話その216:語り継がれる伝説、伝承、物語⑤

<歴史に語り継がれる伝説:地上の楽園は何処に>

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 人間は何時も、この世の楽園を夢見てきました。
戦も貧困も知らず、総てのものに正義が行われる、大いなる平和と美の国、世の憂いと永遠に無縁で居られる島、其れが人類の夢でした。

 その様な民間信仰を取り除こうと、中世の教会は努めましたが、西方に楽園が存在するという神話は、社会の如何なる階層にも広く流布していました。
中でもケルト人は、人間の不朽の魂が、永遠の平和を得られる来世、すなわち死者の島の概念を持っていました。

 文人や吟遊詩人達は、それぞれにこれ等空想の国の物語を描き、或いは読み広め、更には海の彼方からヨーロッパの海岸に漂着した、めずらしい物が夢と現実をこの世に現す手助けをしました。

 古代ギリシア人からケルト人、アングロサクソン人迄、この様な地上の楽園は、おおむね夕日の彼方、西方の何処かに在ると考え、メロピス、オギュギア、幸福の島、ヘスペリスの園、アバロン等さまざまな名称で呼ばれていました。
スコットランド人とケルト人は特に、「若さの島:デエル・ナン・オグー」と呼びました。

 サクソン族に征服される以前に、ブリトン族を支配したと云われる伝説の王アーサーは、死期を迎えた時、ケルト族の「聖者の島」アバロン島へ小船で運ばれたと云われています。

 イングランド南西部のグラストンベリーは、かつてのアバロン島とされ、アーサー王の死の物語と結びつけて語られます。
1190年、グラストンベリー寺院の古い墓地で、アーサー王とギネビア王妃の遺骨と思われるものが発見され、あらためて寺院の礼拝所に収められ、その位置が1931年に再発見されました。

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◎アーサー王の宮殿は何処に

 しかし、跡地の最有力候補は、ある程度考古学的証拠も存在する、サマーセットのキャドベリー城であると思います。
この城は、要塞化された丘の遺跡として、クイーン・キャメル村の近郊に在り、ヘンリー8世統治下の故事研究家ジョン・リーランドは、砦が発見された丘を土地の人々が、しばしば「キャラマット」と呼ぶと記しています。

 又、近くを流れるキャム川は、9世紀のイギリスの歴史家ネニアスの「ブリトン史」が語る、アーサー王最後の戦い、キャムランの戦場であったと考えられました。
かつて、農園の小作人達がキャドベリー城の西側に在る集団墓地で、大量の人骨を掘り出した事が有り、正にこの土地が戦場であった事を物語る様であったと伝えられています。

 戦闘で負傷した傷も回復し、王座に戻って黄金時代を築いたアーサー王の伝説は、もうひとつの中世伝説オギュギアの物語と酷似しています。
ギリシアの哲学者で文人のプルタルコス(西暦46年~120年頃)は、オギュギアの国は西の彼方、夕日の下の永久の美の土地に在ると書きました。
そこには、ギリシアの巨人族の神で、父ウラヌスを去勢し、王座を奪われる事を恐れ、自分の子供を次々と食べ続けたクロヌスが眠っていると云います。
アーサー王と同じく、クロヌスも後に目覚めて王座に就き、黄金時代を作り上げるのでした。

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◎楽園の島

 其処では、水に浮かぶガラスに宮殿が、祝福された者の魂を迎え入れます。
若者と乙女達が、柔らかな草の上で踊り、木には果実がたわわに実り、牛は1回の乳搾りで、池を満たす程のミルクを出す。

 遥かな楽園の島の物語は、フランスではコカーニュ、すなわち「お菓子の国」と呼ばれました。
13世紀のイギリスの詩では、コカーニュはスペインの西に在ると云い、一方フランスの詩では、コカーニュでは通りをガチョウの丸焼きが歩き(!)、若返りの泉が湧いていると云われました。
この様に、滑稽なお話にもかかわらず、西方の幸福の島の神話は、中世民衆の夢を育み、ドイツ人にとっては、イギリスが彼らの場所から見て、西方の島であったので、其れをエンゲルランドと呼び、スラヴ人も遠い西の国の果実がたわわに実る楽園を夢見たのでした。

 アイルランドとスコットランドのケルト人は、デエル・ナン・オグーは宮殿の立ち並ぶ都で、大西洋か未知の湖の底に在ると信じていました。
この空想は、アイルランドを侵略した北欧民族にも受け継がれ、彼らの帰国と共に、伝説も北欧へ伝わっていきました。
彼らは其れをアイルランド・ヒット・ミクラ(大アイルランド)と呼び、自分たちの見たアイルランド島の西に在ると信じたのでした。

続く・・・


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