2013/09/24

歴史のお話その217:語り継がれる伝説、伝承、物語⑥

<歴史を変えた病気:人はそれを運命と呼んだ>

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◎未来のアメリカ大統領を襲った悲劇

 エイブラハム・リンカーンは、母親のナンシーが原因不明の病に倒れ、悲劇の底にいました。
当時、彼は僅か9歳の少年で、貧しい一家は牧草地もない、荒廃した土地に住んでいました。
その為、彼の家に飼われていた牛は、森の中で餌を探さなければなりませんでした。

 1818年、リンカーンの叔父夫婦は、疲労感、足のこばわり、舌の発疹等の症状を起こして、床につき、彼らは数日の内に死亡し、母親のナンシーもその後を追いました。
インディアナ州ピジョン・クリークの人々は、「牛乳病」だと言い、リンカーン家の牛が「震える病気」に感染している事が、その証拠であると主張しましたが、その病気の正体が解明されたのは、実に1927年の事でした。

 リンカーン家の人々は、有毒の白いヘビネを食べた牛の乳を飲んで、死亡したのでした。
もし、ほかに食べる草が存在すれば、牛はヘビネを避けます。
正に、リンカーン家の人々は、貧しさの犠牲に成ったのですが、未来のアメリカ大統領が死の運命を免れたのは、全くの幸運でした。

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◎戦争を引き起こした癌

 1887年、理性的で好人物であるプロシアをフリードリッヒ王子は、左の声帯に腫れ物ができました。
当初試みられた治療が失敗に終わると、ドイツ人医師団はこれを癌と診断し、彼に喉頭の摘出を勧めました。
しかし、著目なイギリス人で耳鼻咽喉科の権威であった、モレル・マッケンジー博士は、癌の兆候は無いと診断し、結果的に手術は行われませんでした。

 1888年6月15日、フリードリッヒは王位を継承してから、僅か99日後に喉頭癌の為に崩御してしまいます。
この結果、彼の息子で、知性的にも劣る、好戦的なカイゼル・ヴィルヘルムの宿命的な統治が始まりました。

若し、ドイツ人医師団の指示通りに手術が行われ、フリードリッヒの命を存命させていたなら、世界は第一次世界大戦の恐怖から、逃れられていたかも知れません。

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◎浴槽の中での暗殺

 フランス革命の最も無慈悲な指導者の一人として悪名高い、ジャン・ポール・マラーは、1793年に浴槽の中で刺殺されました。
彼の死に関して、疑問や謎は一切存在しません。
彼の暗殺者は、シャルロット・コルディーという理想主義の少女で、彼女の研ぎ澄まされたテーブルナイフは、マラーの心臓近くの大動脈を切断していました。
この背景には、1日の殆どを一人きりで浴槽の中で過ごすという、マラーの習慣が、暗殺者の仕事を可也容易なものとしたのです。

 マラー自身、革命当時の生活を調べていくと、彼が地下室や下水道に隠れて、何年も過ごしている間に、瘙痒症(かいようしょう)や単純性糖批疹(たんじゅんせいこうひしん)等の皮膚に痒みを伴う病気に罹っていた事が判明しました。
彼は、全身の痒みから逃れる為に、浴槽の中に座り、民衆を扇動する論文を執筆したのです。

 耐え難い痒みが、彼のペンから悪意に満ちた感情を迸らせ、革命のテロリズムを極端な迄に導いて行ったのでしょう。
其れが又彼自身の死の原因とも成った事は、皮肉と言わねば成りません。

続く・・・
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コメント

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こんばんは

マラーの暗殺の件は有名ですが、リンカーンの話は初めて聴きました。
本当に歴史が変わるところでしたね。