2013/09/26

歴史のお話その219:語り継がれる伝説、伝承、物語⑧

<歴史を変えた病気:人類史上最悪の災厄②>

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◎犠牲者の墓地

 14世紀初頭、ネストリウス派の伝道師達が、新しいルートを通ってヨーロッパとアジアの間を旅する様に成りました。

 1338年と1339年の伝道師達の墓が、そのルート沿いに発見されています。
この放浪の宣教者のある者は、外モンゴルでペストに感染した事が知られており、この痛ましい事実と、普通の鼠がヨーロッパに生息していた事が、その後60年間に渡ってヨーロッパ大陸で猛威をふるい、更に引き続き4世紀近くに渡って世界中を震撼させた「黒死病」の原因に成ったと考えられます。

◎恐ろしい死

 ラテン語の「黒い」という言葉は、中世に於いて「恐ろしい」と同義語で使用されていました。
「黒死病」は、文字通り恐怖の病を意味していたのです。

 1348年には、フィレンチェの人口の大半が、黒死病の大発生の為死亡し、更にこの災禍は全イタリア半島に伝播しました。
同年、当時アビニュンに住んでいた教皇クレメンス6世は、ローマへの巡礼を提唱し、100万人以上の信者が、約800kmの旅に出発したものの、故郷に戻って来たのは10万人に満たない数だったのです。

 流行の絶頂期には、ローヌ川が犠牲者の墓場として使われましたが、他の方法ではもはや、死体の処理をする事が不可能に成る程でした。

 14世紀末までに、2500万人が犠牲となり、之は当時のヨーロッパ人口の25%に当たると推定されます。
或る推定値によれば、1500年~1720年の間に45回に上るペストの流行が報告されていると云います。
最も有名で最大規模の感染が1665年6月、ロンドンにおいて発生しました。

 ロンドンではペストの防疫法の一つとして、ねずみ以外にも犬、猫を焼却処分する方法を選択しましたが、この方法は徹底されず、手遅れでも在りました。
1666年迄に6万8000人のロンドン市民が、犠牲となりヨーロッパ大陸では、新しい流行が発生しないかと戦々恐々の日々が続いていましたが、1666年9月2日に、ロンドンの人口密集地域の中心部で、火災が発生し火事は4日間、燃え続け、市内の5分の4を焼き尽くし、同時に伝染病が発生する温床と成っていた、不衛生な環境も一掃されたのでした。

◎最後の大流行

 ヨーロッパに於ける最後のペスト大流行は、1720年、フランスのマルセイユで発生しました。
当時の挿絵や文書から判断すると、医師達は分厚い作業着と革の手袋を身に付け、更にくちばし状のマスクを被っていました。
くちばしの部分には、臭気を避ける、香草が入れられおり、当時は臭気が病気を運ぶと信じられていた、結果なのでした。

 18世紀以降、なぜペストの大流行が無くなってしまったのかは、はっきりとした理由は導き出せませんが、衛生概念の発達が、そういった大流行を抑制しているのだと思います。
只、「もしペストが発生したら、すばやく遠くへ逃げて、ゆっくり戻って来い」と云う当時の諺が、その対処をはっきりと言い表している様です。

続く・・・
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