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2013/09/27

歴史のお話その220:語り継がれる伝説、伝承、物語⑨

<ブルボン家の継承者>

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 フランスの皇族、ブルボン家の正統な継承者が、今も世界の何処かで、富と名声を相続する権利が、自分に有るとも知らず、ひっそりと暮らしているかも知れません。
ルイ16世とマリー・アントワネットの間に生れた皇太子ルイ・シャルルは、1795年に“死亡”したと成されていますが、彼が子孫を残した可能性も有るのです。

 国王夫妻が1793年に処刑された時、ルイ・シャルルは投獄されて、革命政府の処置を待っていましたが、17ヶ月後、彼は10歳で死亡したと発表されました。

 遺体を検証した5人の人物は、皇太子に間違いないと証言しましたが、生前の皇太子を見た人物はその中に存在せず、又一緒に投獄されていた彼の姉は、死亡後の皇太子の顔を見ていません。
葬儀が行われた時、年端の行かない少年を入れるにしては、棺が大きすぎるとして、人々は不思議がりましたが、その後、様々な事柄を繋ぎ合わせてみると、遺体のすり替えが在ったのではないかという、疑惑が発生したのでした。

◎身代わり

 皇太子の牢番を命じられていた夫婦者が、職を離れる時、皇太子は悪戯盛りの9歳でした。
処が、それから7ヶ月後、後にフランスの独裁者と成ったポール・バラス将軍が獄舎を訪れた時、少年は重い病の床に在りました。
少年の健康状態が驚く程に急変した事情を、牢番をしていた女性が20年後、尼僧の前で懺悔したのです。
牢番夫婦が密かに、別の少年を牢へ連れ込んだのでした。
夫婦は職を離れる日に、皇太子と身代わりの少年を入れ替え、その女性は一言最後に付け加えました。
「私の王子様は、死んでいません!」

 ポール・バラス将軍の獄舎訪問に続いて起こった出来事が、女性の話しをある程度裏付けたのです。
新しい牢番が、将軍に皇太子は偽者であると告げ、バラス将軍は直ちに、皇太子捜索の手配を下したのでした。

 一方、革命政府の役人も牢を訪れ、少年が皇太子と似ても似つかぬ人物である事を証明する人物も居り、銀行家プチチバルは、皇太子の死亡証明書を偽造であると非難する程でした。
しかし、それから1年も経たない間に、プチチバルは一家皆殺しに成ってしまいます。
バラス将軍は、政府報告書の中でプチチバル家の者は、「諸君等も御承知の例の少年を除いて」全員死んだと述べています。

 この事から、バラス将軍は皇太子探索に成功し、少年がプチチバル家に居た事を将軍の同僚や、一部の高級官僚は知っていたのだと考えられます。

 其れならば、獄中で死亡した少年は、誰だったのでしょう?
1846年、遺体の再検分を行った医師は、10歳と云うよりは、15歳から16歳の少年のものである事を証言し、更に1894年に再度司法解剖され、16歳から18歳の年齢の少年と鑑定され、棺の中の遺体は皇太子では在り得ませんでした。

◎自称皇太子

 1815年のナポレオン・ボナパルト失墜と共に、ブルボン王朝は復活しましたが、自称「皇太子」の引きも切らぬ認知要求に悩まされる事と成りました。
勿論、その殆どが一目で分かる、偽者で在った事は、言う迄もありません。

 そのような中、カール・ウィルヘルム・ナウンドロフが登場します。
彼は、自分が失われた世継ぎで在ると称し、その主張を裏付ける極めて有力な証拠を持っていました。
皇太子の乳母も、ルイ16世の司法官も彼の主張を認め、皇太子の姉は、ナウンドロフが自分の家族に良く似ていると聞かされましたが、彼との面会は強く拒んだのでした。
彼の支持者は、皇女の拒絶をナウンドロフの主張が正しい証拠と見なしました。
皇女は、正統の王位継承者として、叔父のシャルルを推していたからです。

 ナウンドロフの主張で一つ特異な点は、牢番によって救出されたのではない事で、バラス将軍が彼を牢内の別の場所に移し、身代わりの少年を引き入れたとされていました。
そして、身代わりが死亡した日に、皇太子は密かに連れ出されてイタリアを経由したプロイセンに送られ、其処でナウンドロフの名前を改めて付けられたと主張しました。
認知要求を更に押し進める為、彼は民事訴訟を起こしたものの、直ちに逮捕されフランスから、国外追放に成りました。

 9年後、彼はオランダで死亡し、死亡証明書には、“ルイ16世とマリー・アントワネットの子 ルイ・シャルル・ド・ブルボン、享年60歳”と記載されました。
今日尚、ナウンドロフの子孫はフランスの法廷に認知請求を申し立てていますが、彼も又詐欺師で在ったなら、別の推測が成り立ちます。
即ち、本当のルイ・シャルル・ド・ブルボンは人目に立たない市井に暮らし、身元が明らかになる事を好まなかったかも知れません。
革命の時代に在って、王家の相続人である事は危険すぎると、彼が考えたとしても不思議では在りません。

続く・・・


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