2013/10/02

歴史のお話その224:語り継がれる伝説、伝承、物語⑬

<ルードヴィッヒ二世>

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 王の馬術訓練は、午後8時から午前3時迄と決まっていました。
王立馬術訓練所や王宮の周囲で行われるこの訓練を、王は「ミュンヘン・インスブルック間の速駆け」と呼称し、付き従う従者も、彼らなりにこの深夜の速駆けを楽しんでいました。
時折、馬を変えるだけで良いし、途中で味わう食事は、館の中で取る其れよりも楽しく、それに速駆け伴走の褒美は、金時計でした。

 「バイエルンの狂王」と呼ばれたルードヴィッヒ二世の楽しみは、馬術訓練所周囲の距離を計りながら駆け、空想の旅を楽しむ事でした。
只、ルードヴィッヒ二世は昼夜反対の生活を行っていたので、「旅」はどうしても、不自然な時間に行わざるを得ませんでした。

 この様な王にも、1864年3月10日、父王マクシミリアン二世の跡を継いだ時、前途は明るい希望に満ち溢れていたのです。
確かに王家の歴史には、暗い過去も有りました。
祖父リードヴィッヒ一世は、60歳の時、スペイン人の踊り子ローラ・モンテス、実はアイルランド女性エリザ・ギルバートと恋に落ち、国の財政を傾け、叔母のアレクサンドラ公女は、才能豊な女性でしたが、神経を病み、健康に異常な関心を持っていました。

 18歳で即位した、美男の新王は、バイエルン国民の心を捕らえましたが、しかし彼らは、新王が15歳の時、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」を聞いて以来、ワーグナーの虜になっている事迄は知りませんでした。

 即位すると直ぐに、王は廷臣を遣って、ワーグナーを探します。
ワーグナーはその頃、巨額の負債を抱えて身を隠していましたが、王は彼の負債の全てを支払い、一生苦労無く作曲活動に打ち込める様、経済的な保証を申し出ます。
こうして、王と作曲家の厚い友情が、開花し、王は作曲家に夢中になり、作曲家の為に様々な芸術的な催しを企て、おぼれ込んで行きます。

 ワーグナーの散財は桁外れで、彼の天才がどれ程金を食うのか、と国民は囁き、或る時、ワーグナーが愛人を銀行に遣って、王の口座から現金を引き出そうとした事が有りましたが、その額は、辻馬車2台を雇わなくてはならない程で、ワーグナーに対するバイエルン国民の反感は、いっそう強いものに成って行きました。

 しかも作曲家は政治にも介入した為、王は友情と公的義務の二者選択を迫られる破目に陥り、ルードヴィッヒ二世は、しぶしぶながら王としての責任を果たす道を選び、ワーグナーにミュンヘン退去を命じますが、王のワーグナー傾倒は、作曲家がこの世を去る迄続きました。

◎逃  避

 其れまで、王は特に変わった振舞いを見せた訳では有りませんが、只、宮殿の衛兵が疲れているに違いないと、ソファーを与えると言った事が有るそうです。(?)
王は国事に関心を持とうと努め、女性に魅力を感じなかったにも関わらず、結婚はしませんでしたが、従妹のゾフィーと婚約さえ行いました。
王が、彼の名前を歴史に残した築城に、情熱を向け始めたのは、この頃でした。
母のマリー王妃は、彼が幼い頃、積み木遊びに夢中であった事を伝えています。

 1868年、王はワーグナーに手紙を送ります。
「ポラート瀑布の近くに在るフォルダーホーエンシュワンガウの古城跡を、私は古代ゲルマン騎士の城と全く同様に改修するつもりでいる。
そこに住むと思うと、いまから血が騒ぐ事を告白しなければ成らない。
其処で“タンホイザー”や“ローエングリン”の精神に生きるのだ」と彼は述べています。
改修建設の工事が、始められました。
是が後の“ノイシュヴァンシュタイン城”、目も眩む急斜面の中腹に建つ、おとぎの城でした。
彼は他にも、バロック式の華麗なリンダーホーフ城と、ベルサイユ宮殿を手本とした、ヘレンキュームゼー城を建てます。
そして、王は遠く国政から離れて、自ら作った城の夢の世界に閉じこもりました。

 王の空想の旅も、馬術訓練所の周辺では終わらなく為り、冬の夜毎、黄金のロココ風馬橇に乗って、危険な雪山を駆けました。
付き添う御者や従者達は、ルイ14世様式の衣装を着けさせられていました。

政治を忘れ、浪費を続ける彼の生活が、何時までも許されるはずも無く、1886年6月、叔父のルイトポルト公は、王に禁治産者の宣告を下し、摂政として、彼の跡を継ぎました。

 ルードヴィッヒ二世の生涯は、悲劇的で謎めいた終局を迎えます。
6月12日、ミュンヘン郊外のシュロッス・ベルグに幽閉され、翌日彼は、お抱え医師ベルンハルト・フォン・グッテン博士と散歩に出掛けましたが、何時まで経っても二人が戻って来ない為、捜索隊が編成され、やがて岸から20m程の浅瀬に二人の遺体が浮かんでいる処を発見されました。
暗殺、自殺、事故死と様々な憶測、推測が成されましたが、ルードヴィッヒ二世の数奇な生涯が如何にして悲劇の幕を閉じたのか、その謎を解明した者はまだ居ません。

続く・・・
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