2013/10/04

歴史のお話その226:語り継がれる伝説、伝承、物語⑮

<ウィリアム・テルは実在したのか:英雄の誕生>

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 その命令は、屈辱的なものでした。
スイス、ルトドルフ村の住民は、村の広場に在る柱の上に置かれたオーストリア代官の帽子に、頭を下げなければ成らないのです。
唯一人の男だけが、勇敢にも一礼を拒否しました。
その男の名前は、弓の名人ウィリアム・テルだったのです。

 代官のゲスラーは、テルを残忍な罰にかけました。
彼に「息子の頭上に置いた林檎を射抜け」と言うもので、此れを拒んだり、失敗した場合は処刑するとも言ったのです。

 村の外れで、テルは息子と向かい合い、石弓に矢をつがえ、帯にもう一本の矢を挟めました。
矢が空を切った其の時、林檎は砕け散ります。
代官は「なぜ2本の矢を準備したのか?」とテルに問うと、彼は答えました。
「もし、最初の1本がわが子の髪の毛1本でも傷つけた時は、貴方の心臓を射抜くつもりで在った」と。

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 ゲスラーは叫びました。
「奴を城へ連れて行け!」
テルは縛られ、舟でウーリ湖対岸のゲスラーの古城へ、連行される事に成りました。

 湖の半ばに達した頃、突然の嵐が起こり、ゲスラー達はテルの戒めを解き、安全な湖岸迄水先案内をさせます。
岸に着くや否や、テルは舟から飛び降り、舟を湖に押し戻しました。
その時、ゲスラーの部下達は湖に沈みましたが、ゲスラー本人は何とか岸に辿り着く事が出来ました。
テルは、2本目の矢をつがえて待っていました。
矢は放たれ、スイスはオーストリアの頸木から解放されたのです。

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 ウィリアム・テルの物語は、テルが生存したと思われる時代よりも200年後に、16世紀の作家エギーディウス・チューディのスイス年代記で、初めて伝えられました。
しかし、テルやゲスラーが実在したという同年代の証拠は、発見されていません。
チューディの報告は、11世紀頃の伝説を面白く改作したものと思われ、やがて、この物語がテルをスイス民間伝承の英雄にしたのでした。

続く・・・

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