2013/10/09

歴史のお話その230:語り継がれる伝説、伝承、物語⑲

<ロスチャイルド>

ロスチ~1

 まずは、映画の1シーンとして想像してみて下さい・・・。
“1815年6月20日、ロンドンの証券取引所に、ある男が入って来た。
その男の首は短く太く、腹は突き出していたが、青ざめた顔色をし、肩をがっくりと落し、疲れきった様子をしていた。
取引所の人々は、「ロスチャイルドだ。ロスチャイルド」だと囁いた。
当時、ロンドンの金融業界で、このロスチャイルド家の三男、ネイサンを知らない者は居なかった。
又、彼がイギリス政府を財政的に援助し、ナポレオンの野望を砕く為に、その膨大な財力を傾倒している事も、人々は良く知っていた。“ (参考:オスチャイルド家-世界を動かした金融王国-)

 1815年6月18日、イギリスのウェリントン将軍指揮下の同盟軍とナポレオン軍が、ベルギー、ブリュッセル郊外のワーテルローで、早朝から激戦を繰り返し、その日没に成ってもその勝敗は決定しませんでした。
証券取引所に居た人々は、ネイサンが一言も言わなかったのに、彼のやつれた表情を見て、イギリス軍は敗北したのだと勝手に解釈した結果、公債や為替相場は、大暴落し、恐慌状態に落ち入りました。

 しかし、実際に勝利を掴んだのは、イギリス軍を中心とした同盟軍で、その勝敗は18日夜に決定したのでした。
イギリスの中で、このニュースを一番初めに掌握したのは、ネイサン・ロスチャイルドで、時のイギリス政府に公報が入るよりも1日早かったのです。
イギリス政府がワーテルローの結末をしったのも、公式の使者が到着する以前に、まず彼から聞かされたのでした。
当時は、電話も電信も無く、更にワーテルローの戦いの日は、風雨が強く、夜には暴風雨に成り、英仏海峡を渡る船は在りません。

 ネイサンは、情報を入手すると、証券取引所に出向いて、暗い表情をして見せ、裏では部下に命じて、為替や公債を出来得る限り買い集めさせます。
やがて、イギリス軍勝利の公報が入り、一般に広まると、相場はぐんぐん上昇し、こうして、ネイサンは、1日にして巨額の金を手にしました。
是がネイサンの常套手段で、良いニュースをいち早く手に入れ、まず派手に売りに出、裏で密かに買い込み、やがて、ニュースが一般に広まると、相場は上昇し、彼は、ごっそり儲かる寸法です。

 ロスチャイルドの早耳は、こうして有名に成り“この一族には、不思議な予知能力が有る”とさえ言われました。
又、伝書バトを利用したとも云われており、昭和の初期、まだカラー作品が少なかった頃「ロスチャイルド」と言う映画が作られ、その中では、伝書バトがワーテルローの戦果を知らせていました。
当時、ネイサンは、実際にワーテルローの戦いを見に行った等と言う、デマも飛び交った程、驚異であったと思います。

 ロスチャイルド家は、以前ロートシル家と云い、その初代マイヤーは、ドイツのフランクフルトのユダヤ人街に住んで、両替や貴金属売買の商売し、その後金融業を始めて、瞬く間に成功をおさめ、諸侯や貴族に迄、融資を行う様に成り、1806年ナポレオンが大陸封鎖令を出すと、その法律をかいくぐり密輸でも成功します。
マイヤーの五人の息子達は、長男をフランクフルト、次男をウィーン、三男をロンドン、四男をナポリ、五男をパリにと、ヨーロッパの主要都市に居住し、手を結び協力し合って、家業である金融業を大きなものにしていきました。

 彼らの金儲け手段の一つは、徹底した賄賂戦術で、各国の重要な地位を占めている者には、惜しみなく金銭を贈り、利益を無視して、便宜を図り関係を深くして、結局、裏でごっそり儲けるのです。
もう一つは、通信網を作り上げ、ニュースを他よりもいち早く知る事でした。
ロスチャイルド家は、ヨーロッパの主要都市に部下を配置して、必要が有れば彼らの間を、何時でも飛脚が走り、この様な独自の通信網の他に、ヨーロッパの駅馬車組織を独占していた、テュルテン・タキシス家と深い関係を結んでいました。

 各国の高官には、賄賂で取り入り、重要なニュースは直ぐ彼らから伝えられ、その上、ロスチャイルド家は密輸を行っていたので、英仏海峡には、船がいつでも配備され、どんな悪天候にも耐えられる、多数の水夫が雇われていました。
当然、ロスチャイルドも伝書バトを使ったかも知れませんが、ワーテルローの戦いの夜が、暴風雨であったなら、伝書バトは余り役に立たず、以前よりロスチャイルド家が、熱心の作り上げた通信網の成せる技で在ったと思われます。

続く・・・

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント