2013/10/14

歴史のお話その234:語り継がれる伝説、伝承、物語㉓

<誤って発見された新世界>

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 「イエロ島は、カナリア諸島の最西端の島だ。
今その島が船尾の彼方に見えている。
そのイエロ島の島影が、ますます小さくなり、ついにかき消す様に水平線に消えた時、船乗り達は、信心深く十字を切った。
彼らの前には、見渡す限り島の一つも無い、大海原が広がり、夢と共に未知と恐怖の世界が、行く手に広がっていた」。

 しかし船長だけは、平静を装っていました。
彼は、昼夜の別なく船首を真西に向けて航海する様に命じ、4000km以上を航行したのでした。
そして、其れでも陸地が見えないと、船長は、偽の航海日誌をつくり、実際より短い距離を記載して、ヨーロッパ大陸から其れほど遠く無いように見せかけ、乗組員を安心させました。

 船は2隻の随伴船を伴い、際限なく広がる大海原を進んで行きました。
船の名前はサンタ・マリア号、船長の名前は、クリストバル・コロンでした。

 日増しに故国スペインは遠くなり、生きて再び故郷に帰れるのか、未知の土地に向かって航海の日々を重ねるにつれ、乗組員の心配は、増長して行きました。
しかし、クリストバル・コロンだけは、彼らの心配を他所にあくまでも航海を続け、反乱を起こすと言う彼らの脅迫にも怯みませんでした。

◎地球は丸い

 陸地が見えなくなってから32日、スペインを出帆した、1492年8月3日から69日目に、彼らは緑の葉がついた枝を海面からすくい揚げました。
翌日(10月12日)、この小艦隊は、原住民がグアナハニと呼ぶ島に到着し、コロンはこの島をサン・サルバドル(救世主)と命名し、スペインの領土である事を宣言しました。

 コロンは、自分が発見したのはアジア大陸東海岸沖の島々であると、死ぬまで固く信じていましたが、彼は、ヨーロッパの冒険家達に新世界を開いてみせた人物として、歴史に名前を刻んだのです。

 さて、この大航海について、多くの人々が事実として受け取っている多くの事柄には、誤りがあります。
例えば、この時代“地球は丸い、平坦では無い”と信じていたのは、なにもコロン一人ではなく、既に大部分の地理学者、知識人は知っていた事なのです。
彼が、インド亜大陸への新しい航路を発見する計画について、スペイン国王である、フェルナンドやイザベル女王に援助を申し出た時、是を拒否したのは、彼らが世界を平坦であると信じていたのでは無く、当時ムーア人の脅威と常に背中合わせで在ったので、果たして成功するか否かも解からない冒険にも近い行動に、国庫を傾けたく無かった事が事実なのです。

◎法外な要求

 コロンは、ついでポルトガルのホアン二世に、同様な働きかけを行いましたが、此方も了解を得られず、1491年再び、イザベル女王に援助を求めたものの拒絶されました。
女王が拒否した最大の理由は、彼の要求が余りにも法外であったからで、コロンは、この大航海が成功した時には、自分を大洋提督と発見した国土全部の総督に任命し、更に航海で発見した財宝の10%を自分の物とする権利を求めたのでした。

 その後、女王は心変わりして、彼のこの要求を受諾しますが、是は当時、スペインとポルトガルが、新世界発見をめぐって激しく競り合っていたからに他なりません。

 こうして、サンタ・マリア号はピンタ号とニーナ号の2隻の随伴船を伴い、世界で最も有名な航海に出帆したのでした。
総勢約90名、船毎も1名の医師が乗り、通訳も1名居ました。
コロンは、この通訳のアラビア語が、中国や日本(!)で役立つと考えたのです。

 さて、最初の航海で新世界に到達した彼は、美しいカリブ海の島々の間を航海して、数週間を過ごし、帰国の途に就きます。
彼は其の後も、この新世界へ三度の航海を経験しました。

 結果的に、余りにも野望が大きすぎた為、彼は女王に嫌われ、世の中に忘れ去られ、ひどい失意と落胆の内に、関節炎に苦しみながら、1506年5月20日に死亡しました。
皮肉な事に、彼が発見した大陸は、彼の友人で冒険家のイタリア商人、アメリゴ・ベスプッチの名前に因み、アメリカと命名されましたが、クリストバル・コロンの死から1年後の事でした。

補遺・クリストバル・コロン 流離の航海

 彼は、1506年5月20日、スペインのバリャドリードで死去、その地の教会に埋葬されました。
しかし、3年後、彼の棺はセヴィーリア近郊のトリアナに移され、それから更に32年後、遺体はサントドミンゴ(現:ドモニカ共和国)に埋葬し直されます。
しかし後年、ハバナに移され、更には1902年には又、安息を乱されセヴィーリアに移されたと考えられていました。

 1877年、サントドミンゴ大聖堂の地下に、新たな納骨堂が発見され、此処には”C,C,A”とイニシャルの付いた棺が在り、「クリストバル・コロン・アドミランテ(提督)」の頭文字と推定されました。
碑銘には、「輝く、有名な紳士、ドン・クリストバル・コロン」と書かれており、現在では、サントドミンゴ大聖堂の遺体が、本人の遺骸で或る事に間違いないと信じられています。

続く・・・


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コメント

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こんばんは

こんばんは。

コロンブスはプトレマイオスの地図を信じたために、想定外に長い旅をすることになりました。
どれほど不安だったことでしょう。