2013/10/15

歴史のお話その235:語り継がれる伝説、伝承、物語㉔

<老いたる峰の町>

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 ペルーのアンデス山中に在ると云う、インカの失われた都市の話しは、300年以上もの間、民間伝承以上の話しでは無いと、考えられていました。
伝承に因ると、インカの生き残りに人々は、スペイン人征服者の手による虐殺を逃れて、1533年、人間の近寄り難い、アンデス山中に逃れたと云う話しは、実際に信じられる話では有りませんでした。

 探検家は、長年この町を捜し求めましたが、その全ては徒労に終わります。
彼らはインカ帝国の首都で在ったクスコ近郊の未開な密林地帯を探索しましたが、大きな発見に繋がる痕跡を見つける事は出来ませんでした。

 しかし、エール大学の若いラテンアメリカ史助教授だったハイラム・ビンガムは、其れまでの探索が間違っている事を証明しようと決心し、1911年6月、彼は二人の友人と数名のインディヘナを伴い、別ルートを辿って、ウルバンバの渓谷沿いに、ロバの隊列を進めました。

 7月の或る雨の朝、ビンガム隊は侘しい気持ちで座り込み、失敗に終わりそうに思われた探検を、今後も継続するか議論していました。
その時、宿の主が川向こうの山腹を真直ぐに指差し、そこに行けば遺跡が見られる事を教えてくれたのです。

 常に楽観的な彼は、宿の主だけを連れて出発します。
二人はロバを引き、川を渡り、600mの斜面を攀じ登りました。
途中、別の二人連れのインディヘナに出会うと、彼らは水を分けてくれた上、「直ぐ近くに在る」段丘や古い家々のことを口にしたのでした。
度々の失望を重ねてきた後で在ったので、ビンガムはまだ半信半疑でしたが、それも長い事では有りませんでした。
丘を回ると、其処には彼が想像したより、遥かに美しい、失われた町が在ったのです。

 高さ約3m、長さ数百mにも及ぶ、見事な段丘が100段程も並び、築かれた雛壇には、苦労して谷間から運び上げた土が盛られていました。
この町マチュピチュは、下からの攻撃には難攻不落ですが、この町がなぜ、何時造られたのか不明のままですが、1400年代初頭、新しく帝国に加えられた地域の中心に砦として、造営されたと推定されます。

 この町は、建築学上の傑作でも在り、今から数世紀も前に、インカは車輪も使用せず、花崗岩の塊を、山上に運び上げ、その石塊はそれぞれ不規則な形に加工され、一つ一つが正確に組み合わされていきました。

 この町に最後に住んだ人々の運命は、永遠に謎のままでしょうが、不思議な事に人口の殆どは、女性で在ったらしいのです。
後にビンガムが再び此処を訪れた時、調査隊は埋葬窟で174体の遺骨を発見しましたが、其の内150体は女性のものでした。

 インカでは、其の帝国の至る所に多数の女子修道院を建て、もっとも美しい女性を集めて、貴族に仕え、宗教儀式を手伝う訓練をしていました。
スペイン人が、侵入した時、この「選ばれた女性達」と呼ばれた乙女達を安全の為に、マチュピチュに移動させたものとビンガムは考えました。
しかし、1533年、インカ帝国最後の皇帝アタワルパが、スペイン人によって処刑され、インカは征服された民となりました。
時が経ち、女性達も歳を重ね、やがて死んでいき、彼女達を守っていた男達は逃亡し、密林は再びマチュピチュを覆い、その挫折した歴史を語る人間は、誰も残りませんでした。

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続く・・・
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