2013/10/22

歴史のお話その241:語り継がれる伝説、伝承、物語㉚

<マヤ・失われた栄光の文明>

o04610346maya-2012-long-count-calendar-doomsday-debunked_45983_big.jpg
マヤ時代の村民生活(想像図)

 現在、メキシコ合衆国の一部になっているユカタン半島には、嘗てマヤ文明が栄華を誇っていました。
ヨーロッパ社会が、未だ中世の流血と混乱の暗黒時代に最中で在った頃、ここユカタン半島では、驚くべき文明が繁栄していたのでした。

 マヤの壮大な石造建築や宗教施設は、押し寄せる密林に飲み込まれ、何世紀もの間、人類の目に留まる事は在りませんでした。
マヤの都市は、整備された舗装道路で結ばれていましたが、是は石の擁壁の間に砕石を入れ、重い石のローラーで踏み固めた後、一種のセメントで固めたもので、簡便な方法ではあるものの、長期に渡って使用に耐えるものでした。

 是等の都市群は、現在、密林から整備され、過去を物語る記念物になっており、その中で最も印象的な場所は、チチェン・イツァでしょう。
ユカタン半島は、季節的な雨季を除き、雨量の少ない場所です。
その為、飲料水に不自由しない大きな泉の周辺に都市が発展しましたが、チチェン・イツァの町も5世紀ないし6世紀初頭に、同様な条件で発展した町の一つで、マヤ文明(文化)は、この町で開花したと言えますが、西暦987年頃、トルテカ族の侵入によって没落したと思われます。

 しかし、チチェン・イツァが最も繁栄の頂点に達した時代は、11世紀から12世紀であり、侵入したトルテカ族は、自己の文化とマヤ文化を融合させ、両者の特徴を兼ね備えた、数々の神殿や建物を建設して行きました。
有名な1000本石柱の神殿は、この時代に造営されたものです、

 マヤの都市では、如何なる場所でも存在する、球技場がチチェン・イツァにも在り、ポクアトクと呼ばれたこの球技は激しいゲームで、試合中に選手が、死亡する事もしばしば有ったと伝えられています。
球技場の石壁のレリーフには、選手が首をはねられている図柄が在り、又近くには、杭にかけられた頭蓋骨の図が刻まれている事から、このポクアトクには宗教的な意味合いを持った、儀式的性格を有しており、勝敗の行方によっては、命を奪われる事も有ったと想像されます。

  チチェン・イツァは生贄の井戸でも有名で、中心に在る大広場と270mの舗装道路で結ばれ、旱魃の時には、雨乞いの為、生贄が捧げられたのでした。

そして、チチェン・イツァの栄光の時代は、突然終焉を迎えます。
200年間に渡って、この町はトルテカ族の中心地としての役割を果たしましたが、1224年頃、住民達は突然この町を放棄して、他の部族がその後に入りましたが、彼らも又15世紀半ばに姿を消し、チチェン・イツァは永遠に見捨てられたのでした。

続く・・・
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント