<カナダ太平洋鉄道>
カナダの太平洋岸と大西洋岸を結ぶ、カナダ太平洋鉄道は、土木建築工事として特出される事業であるばかりか、1つの国家を形成するに至った事業でも在りました。
1867年、カナダ東部のオンタリオ、ケベック、ニューブランズウィック、ノバスコシアの4州は、南部に位置するアメリカ合衆国の脅威に対抗する為、連邦を形成しました。
しかし、太平洋岸に位置する、ブリティッシュコロンビアは、依然として陸の孤島であり、サスカッチュワン、アルバータは、ノースウエスト・テリトリーのまま存続していました。
カナダ議会は、ブリティッシュコロンビアを連邦に編入させる為、大陸横断鉄道の建設を承認したのでした。
6人の資産家によって、カナダ太平洋鉄道会社を設立し、資本金2500万ドル、100万ヘクタールの西部1級地、20年間の免税特権保証の基、鉄道建設工事は着工されたのでした。
シカゴ出身のウィリアム・コーネリアス・バン・ホーンが鉄道敷設工事を指揮し、建設工事が容易に進んだ草原地帯を越え、スペリオル湖北岸の荒野へ線路を伸ばす為に投入した物資は、1万2000人の建設要員、5000頭もの馬、更に削岩機、火薬等、膨大な物量に上ります。
容易に進行した草原地帯の敷設工事とは対象的に、北岸以降の工事は困難を極め、1kmの区間を進む為に花崗岩の岩盤を切り開く作業には膨大な日数を要し、湿地地帯ではその脆弱な地質の為、作業用機関車が3両も水没する等、予想外の被害を被り、これらの難工事区間では、10cmあたり43ドルの建設費を要しました。
此処に至り、建設費は予算を超過する2700万ドルに達し、債権者は出資金の返済を要求し始め、バン・ホーンは新たに3500万ドルの追加借款を議会に申し出るものの、議会はこの申し出を却下し、カナダ太平洋鉄道会社は破産の瀬戸際に立たされます。
この事態の最中、ネイティブアメリカンと混血の無政府主義者、ルイ・リエルの煽動で、サスカッチュワンに反政府運動が勃発し、カナダ政府はその鎮圧の為、急遽軍隊を紛争地域に派遣する必要が生じました。
バン・ホーンは、未完成だった鉄道線路を使って、兵力4000名の軍隊を11日以内に現地に輸送する事を請負、その大任を果たす事が出来ました。
その速達性、確実性がカナダ国民に対し、鉄道建設の重要性を認識させ、是を機会に新たな資金の調達が成されました。
東西から始まった鉄道建設は、次第に完成に近づき、1886年7月4日両方の線路は、最後の犬釘が打たれ完成したのでした。
この日、モントリオールを発車したパシフィックエクスプレス号が、太平洋岸の終点ポートムーディ迄4675kmの全線を走行します。
現在、カナダ太平洋鉄道会社は、航空、海運、ホテルと言った関連会社を有する巨大企業となりました。
続く・・・
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