2013/10/31

歴史のお話その249:語り継がれる伝説、伝承、物語㊳

<ユニオン・パシフィック>

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大陸横断鉄道線路締結!

 大陸横断鉄道建設法案が、アメリカ合衆国議会の承認を得た時、新しい鉄道建設を推進する状況では在りませんでした。
当に南北戦争の最中で、中部平原地帯では、ネイティブアメリカンとの衝突が、頻発していたのです。
しかし、議会は1862年、ユニオン・パシフィック鉄道建設法案を可決しました。

 セントラル・パシフィック鉄道が、カリフォルニアのサクラメントから東に向けて鉄道建設工事に着工し、ユニオン・パシフィック鉄道が、ネブラスカ州オマハから西に向かって、建設工事を推進する事で合意が成立、1863年工事が始められました。

 セントラル・パシフィック鉄道側の工事を指揮したのは、チャーリー・クロッカーでしたが、工事開始地点から130km地点で、早くも大きな障害に遭遇しました。
シエラネバダ山脈の花崗岩の斜面が行く手を塞ぎ、一方、グレンビル・ドッジ将軍が指揮するユニオン・パシフィック鉄道側は、白人に敵意をもつ、スー族やシャイアン族の土地を横断しなければ成りませんでした。

 ドッジ将軍指揮下の建設部隊の大部分は、アイルランド系で占められていましたが、クロッカー隊の主力は、中国系でした。
「東洋人に、鉄道建設の様な仕事は出来ない」と言う者に対して、クロッカーはこの様に返答しました。
「彼らは万里の長城を造った。あれは、石の建造物では世界一である」と。
1866年から67年にかけて、冬の寒波は特に厳しく、多くの作業員が凍死や雪崩によって命を落とし、特に1867年2月の猛吹雪は、12日間に渡って荒れ狂い、作業員小屋が18mの雪の中に埋められてしまう程でした。

 しかし、東西から延びてきた線路は、終にユタ州プロモントリー・ポイントで出会います。
西の基点から1110km、東の基点から1748kmの地点で結ばれ、更にユニオン・パシフィック鉄道は既存の東部の鉄道と結ばれ、大陸横断鉄道は完成したのでした。

 1869年5月、プロモントリー・ポイントには、銀のプレートが打たれたマホガニー製の枕木が置かれ、開通式には、東西を出発した機関車が、ここで出会い、記念の犬釘が打ち込まれました。
この時、本当に西部を開拓したのは、大陸横断鉄道を完成させた、ドッジ将軍指揮下のアイルランド人と、クロッカー指揮下の中国人の人々でした。

続く・・・

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