2013/11/03

歴史のお話その251:語り継がれる伝説、伝承、物語㊵

<ネイティブアメリカンの英雄・ジェロニモ>

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 アパッチ族の勇敢な戦士ジェロニモは、ネイティブアメリカンの代名詞的な人物ではないでしょうか。
本名はゴヤスレイ「アクビをする者」という意味でした。

 彼が30歳の時に、メキシコで暮していた彼等の集落をメキシコ軍が襲撃し、彼の母親と妻、3人の子供を虐殺しました。
怒りと復讐に燃えたジェロニモは数ヶ月後、大勢の仲間と共にメキシコ人の町を襲い、一躍勇名を馳せたのですが、猛り狂うジェロニモの勇猛果敢な戦い振りに恐れをなしたメキシコ人達が「ジェロニモ!!」と叫び、それ以来、彼は仲間内でも「ジェロニモ」と呼ばれる様に成ったと云われています。
 
 何故、メキシコ人が彼を見て「ジェロニモ」と叫んだのかは、はっきりとした記録は在りませんが、一説では、聖ジェロームの加護を求めて「ジェローム」と叫んだ声が、ジェロニモに聞こえたのだとの伝えが残っています。

 1848年2月、其れまでメキシコの領土だった南西部は、アメリカ・メキシコ戦争の結果、ガダルーペ・イダルゴ条約により、アメリカ合衆国の領土となりました。
やがて、合衆国政府は、アパッチ族を居留地に押し込めようと画策しましたが、ジェロニモは仲間と共に自由を求めて居留地からの脱走を繰り返します。
ジェロニモと仲間達は旅人や、開拓者達から、食料や毛布、馬、武器などを略奪しながら逃亡生活を続け、その様子を新聞や雑誌が誇大に伝えた結果、アメリカ中に彼の名を知らしめる結果と成りました。

 アメリカ陸軍は、この40人足らずのジェロニモ達に対して苦戦を強いられます。
そして3度の失敗を繰り返したあげく、4度目の追撃戦では、実に約5000人の兵士を動員し、当時の新聞には「残忍で血に飢えたインデアン、ジェロニモがアメリカ軍に降伏」と大きく報じたのでした。

 アメリカ中の感心を集めた、野獣のような戦士ジェロニモの肖像を描く為、収容所に移送されたジェロニモの元に、シカゴの博物館から派遣された画家がやって来ました。
しかし画家はジェロニモに接し、イメージと大きく違う彼の本性に戸惑います。
画家は
「私には彼が野蛮なアパッチのリーダーにはとても見えなかった。非常に気持ちのやさしい男だったからだ」と語ったと云います。
居留地でも冗談を言っては、周囲を和ませるジェロニモは、白人達にも人気が有り、オクラホマ州フォート・シルに在る彼の墓は、アメリカ陸軍兵士達の募金によって造られたもので、どの部族の酋長の墓よりも大きかったと云います。

 勇敢な戦士ジェロニモ、もし白人達の迫害が無ければ、この世に名前を残す事も無かったかもしれなません。
少なくても勇敢な戦士としては・・・。

続く・・・
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