2013/11/10

歴史のお話その257:語り継がれる伝説、伝承、物語㊻

<シャクルトン調査隊の生還その2> 

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 翌日、彼らは島に上陸して横断し、反対側に在る捕鯨事務所迄行こうと提案しました。
しかし、サウスジョージア島の雪山や氷河の向こうに何が在るのか、誰一人として、其れを知る者など居ませんでしたが、シャクルトンは断固としてこのルートを試みました。
もし、海上を進んで、難破等の事態になれば、エレファント島に残してきた仲間は、死を待つのみと成るからです。

 彼らはキングホーン湾に上陸、洞窟を見つけ、アホウドリの雛を捕らえて食べた時は、余りの空腹に骨まで食べてしまった程で、近くに流れる河の水は、まるで蜜の様な味に感じました。
木の葉や苔を集めてベッドを作り、やっと2週間ぶりに安眠する事も出来ました。

 1916年5月19日、空が晴れて月が輝き、シャクルトン、クリーン、ウォースリーの三人は、同行する事が出来ない三人を残して、島の横断に出発しました。
ウォースリーが磁石で方角を調べ、行く先を示すと、三人は安全の為ロープでお互いの体を結んで進み、時には深さ60m以上も在る大きな谷に危うく、転落しそうになった時も有ったのです。

 終に三人は、尾根に到達、そこは鋭く切り立った場所で、足を両側に垂らす事が出来る程でした。
夜に成ると、霧と闇に退路を断たれ、もし動かなければ、間違い無く凍死してしまいますが、凍った岩肌に足場を作りながら降りて行く事は、時間が掛かりすぎてしまいます。
シャクルトンは言いました。
「是は、とんでもない一か八かの勝負だが、やるほか無い。滑って行こう」

 ウォースリーは後日、この時の事を次の様に話しています。
「我々は、ロープを巻いて、それぞれ小さな座布団を作り、是を敷いて斜面を滑ろうという訳だ。
シャクルトンは、氷を削って、足場を作り、其処に腰を降ろした。
私は、彼の後ろに付き、彼の首を抱える様にしてしがみついた。
クリーンが私の後ろに付き、同様な姿に成り、私達は一塊になって、シャクルトンの一蹴りを合図に滑り始めた。

 我々は、空間目指して打ち出された様な気分で、私は恐怖に髪の毛が逆立ったものの、突然満足感を覚え、自分が笑っている事に気が付いた。
本当の話、楽しんでいたのだ。
我々は、急斜面の山腹を、時速100km近い猛スピードで滑り下りた。
私は興奮の余り、大声で叫んだ。
気が付くと、シャクルトンもクリーンも、大声で叫んでいた。
私は、この滑降が途方も無く安全な様に思われた。

 徐所に速度が落ちて、我々は雪の吹き溜まりの処で止まった。
我々は、起き上がって、真面目くさった顔で、やたらと握手を繰り返した」

 3人は36時間掛かって、サウスジョージア島を横断、ついに捕鯨事務所に辿り着いた時には、あまりに酷い姿だったので、所長は彼らが誰なのか、見分けが付きませんでした。
シャクルトンの頭髪は銀色に変わっていたのです。
ウォースリーが、残してきた3人を救出する為、キングホーコン湾に帰った時には、この3人も、ウォースリーを見分けられませんでした。
もっとこの場合は、風呂に入り、髭を剃ってましな服装をしていた為、外見が全く変わっていたからでした。

 一方、エレファント島の隊員達は、転覆した2隻の船の下で、ハリケーンと氷に苦しめられながら、4ヶ月半を過ごしたのでした。
こうして、アーネスト・シャクルトン最後の長い遠征は終わりました。

 彼の海と陸の長い冒険旅行の記録は、現在でも歴史上、もっとも偉大な南極探検とされています。
彼の業績は、仲間の探検家が語った、次の言葉に、見事に象徴されています。
「科学的な面でのリーダーならスコットだ。
迅速で効率的な旅行ならアムンゼンを取る。
しかし、絶体絶命の立場におかれ、八方塞がりになったなら、跪いてシャクルトンを祈る」

続く・・・
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