2013/11/13

歴史のお話その258:語り継がれる伝説、伝承、物語㊼

<密林の中の都>

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 1861年、フランス人博物学者アンリ・ムーオは、カンボジア北部の密林の中を進んでいました。
突然、木々の梢越しに3基の高い搭を認めたのです。
是がアンコール・ワットの小尖搭で、アンコール・ワットは、アジア屈指の壮麗な寺院で、この発見は、失われた伝説の都、アンコール・トムが発見された事を告げるものでした。
アンコール・トムは、偉大なクメール帝国の首都で、500年前に放棄され、熱帯の密林に閉ざされ、忘れ去られていたのでした。

 アンコールは、廃墟に成った現代でも、私達に驚きを与えてくれる存在で、周囲を堀が取り囲み、この堀には嘗てワニが入れられており、その後は土を築いた高い防塁となっていました。
アンコール・トムを建設した王は、ジャヤバルマン2世(在位770年~850年)でしたが、彼は、自らを神と称し、自らの権力と帝国の富を誇示する為に、首都建設に邁進したのです。

 堀は正方形で、一辺の長さは約3km、城壁の内側には、古代ローマ市がそのまま納まって余りある広さでしたが、ここに暮らしたのは、王家で在って、一般の市民は城壁の外に暮らしたのです。
この場所は、宗教と政治の中心地であり、4本の広い舗装道路が、堀を渡り、大きな関門を通って市内と結ばれていました。

◎ライ王のテラス

 4本の道路は、街の中心部の大広場で交互に繋がり、この広場は、彫刻のある二つのテラス、王家のテラスとライ王のテラスと名付けられた場所に接しています。
その正面には、精巧な彫刻が施された、踊り子のテラスが在り、ここアンコールで壮麗なのは、砂岩で造られた彫刻群で、舗装道路は何れも、架空の動物を支えた巨人や神の姿を彫った、欄干が造られています。
市内と城内を隔てる関門にも精巧な彫刻が、一面を飾り、搭の上には、頭を三つ持った象の紋章が、掲げられています。

 王家のテラスは、国王や王妃、王子や王女、ライオンや象、ヒンズーの宗教物語の人物像で満たされ、極めて高度な文明社会のあらゆる活動を題材にした、彫刻も多数に及びます。
その造詣は、見事で一瞬、動きを止めた様に見える程なのです。

◎記念碑

 しかし、アンコールの最も崇高な記念碑は、城壁から1.5kmの処に在る、アンコール・ワット(大寺院)で、スールヤヴァルマン2世(在位1112年~1152年)によって建立されたこの寺院は、世界の寺院の中で、最も壮麗な寺院の一つに上げられています。
この国王の時代、クメール帝国はその繁栄の頂点に達しました。
アンコール・ワットは、全長6.5kmの正方形の堀に囲まれ、寺院は池や回廊、露台、廟、階段が複雑に入り乱れ、中央の礼拝堂を囲む回廊には、伝説やヒンズー教の聖典に題材を選んだ、躍動する様な彫刻を施された壁が、高さ2.5mで約800mの回廊を取り囲み、その上に三段の階層を成した寺院がそそり立ち、中央の65mの搭を含めて5基の搭が立っています。
この搭群が、アンリ・ムーオをアンコールの廃墟へと導いたのでした。

◎衰退

 スールヤヴァルマン2世の崩御から、25年後の1177年、現在のラオス方面から帝国に侵入した、チャム族によって、アンコールは占領され、略奪の対象と成り、その2年後、チャム族はヤショヴァルマン7世によって討伐されるものの、帝国の情勢は不安定なものに成って行きました。

 是から150年の間、クメール帝国は西方のタイ族(シャム族)北方のモンゴル族の侵入を受け、特にタイ族はアンコールを1369年、1388年、更に1431年の3回に渡って占領し、都市が如何なる防塁を築いても、既に防衛する事が不可能だったのです。

 アンコールを支えていた、米作の為の複雑な灌漑設備もその時破壊され、やがて首都機能は、1434年現在のプノンペン近郊に移され、アンコールは密林に遺棄されたのでした。

続く・・・

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