2013/11/14

歴史のお話その259:語り継がれる伝説、伝承、物語㊽

<ベスビオの麓で・ポンペイ>

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ポンペイ最後の日・紀元79年8月25日

 1人の男性は、石を敷き詰めた通りに倒れており、その手には、一握りの金貨を確りと握り締めていました。
この男性が、如何なる処遇の人物で在ったのかは、永遠に判らない事でしょう。
男性の身の上は別にしても、1500年以上もの間、金貨を掌に握り締めたまま、18世紀にその遺体が発見される迄、灰と溶岩に埋もれている事になるのが、彼の運命でした。

 彼は、ポンペイの市民で、この町はナポリ湾に近い、金持ちのローマ人の為の、夏の保養地でしたが、ベスビオ火山の噴火した、西暦79年8月24日を境に、地上から抹消されてしまいました。
しかし、火山は町を破壊しましたが、一方では、保存し続けて来たのです。

 商店の主人達は、昼食の為に、木製の鎧戸を閉めようとしており、少女達は街角の泉で、おしゃべりをしていました。
パン屋はちょうど釜戸に、81個のパン種を入れたところでしたし、酒場では客が代金を支払っていたその時、町を大きな地震が襲ったのでした。
殆どの人々は直ぐに町を離れましたが、地震は、危険の最初の合図に過ぎませんでした。
しかし、どうしても町を離れる事が出来ない人々も居たのでした。

 ある一団は、友人の葬儀の席にかしこまって座ったままの姿で発見され、貴重品を埋める為に穴を掘っていた人物は、その穴に自分が埋まる結果となり、或る者は自宅に隠れました。
可也の人々が家財道具を車に積み込みましたが、此れはポンペイの狭い門の処で身動きが出来なく成っていました。
この時、ベスビオ火山は静になっていましたが、28時間後、ポンペイの町は、厚さ6mの溶岩に埋まり、2万人の人口の内2000人が犠牲と成りました。

 ポンペイの町を襲った悲劇は、其の後幾世紀の間、殆んど忘れ去られていましたが、1748年、ナポリの水道技師アルクビエルレが、彼の時代から150年程前、近郊のサレルノ川から水を引く為に掘られたトンネルの調査を行いました。
全く、偶然の幸運によって、彼が掘った竪穴は、ポンペイの中心街と思われる箇所に到達し、彼は其処で素晴らしい壁画を発見し、他に金貨を握り締めた、冒頭の男性の遺骸を発見したのです。

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19世紀の発掘作業

 1763年には、ドイツ人ヨハン・ピンケルマンが、ポンペイの秘密に魅せられ調査に取り掛かり、彼は苦労して身に付けた学識をもとに、雑多な碑文を集めて、そこから、古代ローマの海辺の保養地における6世紀にもわたる生活の記録をまとめ上げたのでした。

 イタリアの考古学者ジョゼッペ・フィオレルリが、現在の様な科学的な発掘方法を確立する為には、更に1世紀の期間を要しました。

 現在、発掘作業は家から家へ、通りから通りへとゆっくりと進行し、発掘作業中に発見した物が一切失われる事が無い様に、細心の注意を払った作業が続いています。
そして、ポンペイは、現在全面積の5分の2しか調査が成されておらず、未だ溶岩に閉ざされた中には、今までの発見よりも更に重要な遺産が、発見される十分な可能性を秘めているのです。

続く・・・

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