2013/11/20

歴史のお話その264:語り継がれる伝説、伝承、物語51

<全ての道はローマに通ず>

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 ローマ帝国は、その最盛期、版図はペルシア湾からブリテン島のルンバーに迄広がり、ヨーロッパ大陸とイギリスには、8万kmに及ぶ幹線道路が造られていました。
その為、帝国内の移動は、極めて迅速且つ安全に行われ、更に砦、軍団駐屯地、町や村、港、駅が設けられ、幹線道路の間には、地方道も整備されてその総延長は40万kmにも及びました。

 アウグストウス帝が創設した、郵便制度をはじめ、ローマ帝国のあらゆる産業活動が、この幹線道路を利用したのです。

 当時、定期郵便は、1日160kmの速度で運ばれ、現在のスコットランド国境に近い守備隊が投函した手紙は、5日以内に現在のロンドンに到着しました。
重要な通信文は、早馬でリレー式に運ばれ、1日320kmの速度で運ばれたのです。

 ローマ帝国では、道路建設が国家建設と同様に重要な事業と位置付けられ、道路の建設や保守管理工事は、政府高官で無ければ行う事が、事実上不可能でした。
道路工事は、当時、膨大な費用を要し、有名なアッピア街道を建設する為に要した費用は、現在の円に換算して1km当たり200万円以上と推定されています。

 ローマの技術者は、地形を無視して、定規で引いた様な一直線の道路を建設しましたが、山を切り開き、又谷を埋め、沼地に橋を掛け、海に達すると、その対岸に道路が姿を現したのでした。
ローマ市から29本の主要幹線道路が放射状に延び、辺境地域迄及んでいました。
道は、1.2mから1.5mの高さに土盛を行い、石で固められ、排水効果に優れ、何世紀もの使用に耐えました。
道幅は、4.4m乃至4.8mで、現在の大型車両でも十分対面交通が可能な幅員を持ち、更に道路の両側には1段高い歩道が設けられていました。

 道路設営は、十分な計画を練った上で行われ、まず表土を取り除き、重い石を敷き詰め、その上に小石、破砕タイル、煉瓦を入れ白亜をモルタルで固めた層を作り、表面は排水の為、中央が高い形にし、板石をセメントで固定して両側に縁石を設置しました。

 道には、距離標を設けて、最寄りの街迄の距離を示し、一定の距離間に駅舎を設けて、早馬を準備し、宿舎の施設も設けられました。
ローマの道路網は、基礎計画が大変優れていた事から、更に工事技術が極めて高度で在った為、2000年間に渡ってヨーロッパ都市間交通の主要手段と成り、鉄道が登場する迄、この道路網が最も早い交通手段だったのでした。

歴史の皮肉

 ローマ帝国が、最も繁栄した時代において、ロンドンからローマ迄の旅は、わずか13日を要するだけでした。
其れから、ほぼ2000年後、イギリスの新首相に決定した、ロバート・ピールが、イタリアからイギリスに召還された時、帰国に要した日数が、2000年前と同じ13日でした。

 イギリスでは、ローマ時代の道路が、何本か現在でも使用されています。
元来、征服者が、敵意に漲るイギリス人を支配する目的で、造った道路が、2000年後の今日、そのイギリス人に恩恵を与えているのですから、歴史は何と皮肉な事なのでしょう。

続く・・・
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