2013/11/23

歴史のお話その266:語り継がれる伝説、伝承、物語53

<琥珀の間の行方>

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 ドイツ第三帝国が、1939年のポーランド侵攻以来、電撃作戦の名の基に破竹の快進撃と続けた時期、ヨーロッパは当に暗黒の時代でした。
非占領地の人々は、レジスタンスを組織し、抵抗を繰り返しましたが、大きな効果を上げる事は出来ませんでした。
ナチスは、その侵略占領地域の美術工芸品を次々と、ベルリンに移送しました。
“琥珀の間”は、東部戦線の開戦後、ソビエト連邦内に侵攻したドイツ軍よって、ソビエト領外に持ちさられた、当時時価5千万ルーブル(180億円以上:資料が古く現在の時価は不明、昭和48年時)と見積もられる国家的財宝です。

 ドイツ軍は、レニングラード(現:サンクトペテルスブルグ)郊外24kmに位置するプーシキン(現ツァールスコエ・セロ(皇帝の小さな村の意)に侵攻、ここには、エカテリーナ宮殿が在ります。

 女帝エカテリーナ2世と言えば、帝政ロシア華やかなりし頃、その絶大な権力を誇った皇帝であり、エカテリーナの王冠は、頂上に小さな十字架を立て、高さ27cmのドーム型に金銀、ダイヤモンド、ルビー、真珠等総計実に2858カラットの宝物で構成されています。
又、女帝が身に付けていた、巨大ダイヤ“オルロフ”は196カラットと言う比類無い大きさの宝物は、インドで発見され、1773年にアルメニア商人を通じて、ロシアのオルロフ伯爵の手に渡り、翌年、女帝に献上されました。

 以上2点を含む、諸々の財宝は、何れも現在、クレムリン最高会議場近くの宝物貯蔵庫“オルジェイナヤ・バラータ”に収蔵されていますが、此処には、南ウラルで産出した世界最大の自然金塊“大三角”の他ダイヤモンド“皇帝”等の貴石名玉が収納されています。

エカテリーナ宮殿の踏み込んだドイツ軍が、最初に目をつけたのは、“琥珀の間”でした。
此処は、55㎡に及ぶ室内の壁面全体が、精巧な琥珀の彫刻によって埋められており、部屋そのものが財宝で有り、美術品でした。
琥珀の間に使用された琥珀の総重量は6トン、約10万個に及ぶが、エカテリーナ2世が祝典応接室の名目で1770年に完成させた。

 本来は、1700年代の初め、プロシアのヴィルヘルム一世が自分の書斎として造営を命じ、後にロシアのピョトール大帝に献上した、歴史的宝物で、大帝の没後は、エカテリーナ宮殿の一室に移設されていました。
エカテリーナ2世はこの部屋をこよなく愛し、自らの許しがなければ入室を認めない禁断の部屋でした。
ドイツ軍は“琥珀の間”をそっくり取り外して、他の貴重品と共に、遥かは離れた東プロイセンのケーニヒスベルグ(旧:カリーニングラード)へ移送してしまいます。
この作業を指揮したのは、ナチス幹部のエーリッヒ・コッホでした。
独ソ戦終結後、ソビエト共産党は、この為の国家調査委員会まで設置し、関係者に対する懸命な追求を行ったものの“琥珀の間”が一端ケーニヒスベルグの美術館に、隠匿されたところ迄は解明できましたが、其処から先の情報を得る事が出来ませんでした。

 最大のキーパーソンであると思われた、同美術館の館長 ロード博士が、ソビエト国家調査委員会の厳しい尋問のも屈せず、突如、その婦人と共に死体となって発見される事件迄発生しました。

 そして、もう一人の証人、ナチス幹部のエーリッヒ・コッホは、潜伏先のポーランドで逮捕され、重要戦争犯罪人として、死刑宣告を受け、刑務所に収監されました。
しかし、“琥珀の間”については頑強に口を閉ざし、戦後20年を経過した頃、僅かに「ユダヤ人を使い、市内ボナルト地区に在った教会地下室に収納した。作業後、教会を爆破して地下室を塞ぎ、作業したユダヤ人を全て銃殺した」と伝えられています。
肝心の教会の名前や、所在地に関しては「全く忘れてしまって、思い出せない」との言葉で結ばれていました。

 ケーニヒスベルグは、旧ソビエト連邦領でも、ポーランド国境に接した、バルト海に臨む町で、戦火と戦後の都市復興計画で、町の様相は細部に至る迄変貌しています。
現在でも、この町の何処かに・・・?

 現在のエカテリーナ宮殿にある琥珀の間は、ロシアが国家を挙げて復元しました。
サンクトペテルブルクに建都300年、ドイツ軍に持ち去られてから62年後の2003年5月の事でした。
復元には24年間の歳月を要し、この式典がフランス、エビアン サミットの前だったこともあり、小泉首相はじめ各国首脳が集まった事はまだ記憶に新しいと思いますが、その際琥珀の間も各国首脳に披露され日本のテレビでも紹介されたのでご覧になった方もいらっしゃるのと思います。
もちろん招待された首脳の中にはシュレーダー独首相も含まれており、確かにドイツによって持ち去られた琥珀の間ですが、復元に際し、大きな資金提供をしたのもドイツなのです。

続く・・・

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