歴史のお話その267:語り継がれる伝説、伝承、物語54
<モナ・リザ盗難事件>

レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ(ジョコンダ)」は、謎の微笑みで有名ですが、是と供に、今から100年近く前に発生した、「モナ・リザ盗難事件」も不可解な部分が多く、コナンドイルもシャーロック・ホームズ作品の一部に取り入れています。
ルーブル美術館の「モナ・リザ」が盗難に遭遇した事が判明したのは、1911年8月21日の事で、この日は、美術館の清掃日でした。
しかし、何故か直ぐに警察に届けられず、まず館内がくまなく捜索されたのですが、関係者は盗難と思わなかったのでしょうか?
美術館関係者から、警察沙汰にする事で、犠牲者が発生する事を、避け様としたのだと考えられます。
結果として「モナ・リザ」は発見されず、翌朝、警察に通報され、ルーブル美術館は、三日間休館と成り、徹底的な調査が行われ、その日の午後、額だけが発見され、展覧室に通じる扉のノブが、近くの側溝から発見され、犯人は扉のノブを内側から分解して、逃走した事が推測されたものの、そのほかに手掛かりは発見されませんでした。
事件が公表されるとフランス国内は、大騒ぎとなり、時の議会で関係者は質問を受け、主要な新聞は、発見者に賞金提供を申し出ました。
中には犯人を占った、占い師に賞金を出す(!)と迄公表した新聞社も在った程、フランス国民の関心事に成りました。
犯人の手掛かりも無いまま、ルーブル美術館は再開されましたが、館長のオユーモ氏は休職と成り、当時の美術館責任者の多くは、交替と成り、職員の数に比較して、美術館が広すぎる事から一部の施設を閉鎖する結果となりました。
11月に成り、ルーブル美術館の警備関係者7名が、裁判所に召喚され、無断外出の1名と居眠りをしていた1名はは有罪とされ、その間、パリ警視庁には犯人に関する密告も多数寄せられ、捜査も進み、取り調べを受けた人物も多数に及びました。
その中で特に有名なのは、詩人のアポリネールで、彼の参考人として、あのパブロ・ピカソも警察に呼ばれています。
当時アポリネールが、秘書として雇用していた、ゲリー・ピュレェは「ルーブル位、泥棒するのに楽な所は無い」と言い、時々小さな彫刻等を盗みだしましたが、その頃のルーブル美術館は、監視人も少なく、その気に成れば、小さな物を盗み取る位、容易で在ったらしいのです。
ゲリーは盗んだ彫刻等を、アポリネールやピカソに贈った上に、自分の泥棒稼業を或る雑誌に投稿した程でした。
アポリネールとピカソは、ゲリーからの“贈り物”を鞄に入れて、セーヌ川に捨てようと、二人で真夜中に川の辺を歩き続けます。
しかし、誰かに尾行されている様な気配がして、とうとう鞄を捨てられず、一晩中歩き回りました。
やがて、終に二人は警察に呼び出され、その時、気の強そうなピカソも、警察と聞いて脅え、“振るえてズボンもなかなか履く事が出来なかった”と伝えられています。
問題の彫刻は、ルーブル美術館に既にこっそりと戻していた事、事件も可也昔の事で在った為、二人は無事に許されて家に帰る事ができました。
「モナ・リザ盗難事件」は、迷宮入りした様に思われましたが、1913年12月12日、急転直下解決します。
フィレンツェの古美術商に、レオナルディと名乗り「モナ・リザ」を売りに来た男がいました。
古美術商は、「専門家に立会いを求め、本物で有ったら購入しよう」と告げ、レオナルディはこの条件を受入ました。
専門の鑑定士は、この「モナ・リザ」を本物と鑑定し、レオナルディはその場で身柄を現地の公安当局に束縛されます。
この男の本名は、ヴィンセンコ・ペルージアで塗装工でした。
イタリア人ですが、フランスに出稼ぎに行き、事件当時はルーブル美術館で絵にニスを塗る作業を行っていました。「ナポレオンが、イタリアから絵画や彫刻を幾つも略奪していったから、その仇を討ったのだ」と彼は証言したと伝えられています。
やっと「モナ・リザ」はルーブル美術館の本来に場所に戻り、翌年1月4日から公開されました。
この事件は、結末が余りにも“間の抜けた”終結で、その発見直後から疑問を呈していた様です。
古美術商に持ち込めば、公安関係者(イタリアには、美術専門の特捜警察組織が現在も存在します)に通報され、拘束される事は明らかであり、2年近くも隠匿しながら、何故その様な安易な行為を行ったのでしょうか?
この2年の間に精巧な模写が描かれ、ルーブル美術館に戻った「モナ・リザ」は贋作の方で在ると考える人物も多く存在しています。
補遺
森鴎外には、外国新聞からおもしろいニュースを見つけて翻訳し、「椋鳥通信」「水のあなたより」等と題して、海外からの便りの形をとって、雑誌「ずばる」等に連載したものが在り、「鴎外全集」にも収録されています。
その部分を読むと、モナ・リザ盗難事件の発生から解決迄を辿る事ができます。
続く・・・

レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「モナ・リザ(ジョコンダ)」は、謎の微笑みで有名ですが、是と供に、今から100年近く前に発生した、「モナ・リザ盗難事件」も不可解な部分が多く、コナンドイルもシャーロック・ホームズ作品の一部に取り入れています。
ルーブル美術館の「モナ・リザ」が盗難に遭遇した事が判明したのは、1911年8月21日の事で、この日は、美術館の清掃日でした。
しかし、何故か直ぐに警察に届けられず、まず館内がくまなく捜索されたのですが、関係者は盗難と思わなかったのでしょうか?
美術館関係者から、警察沙汰にする事で、犠牲者が発生する事を、避け様としたのだと考えられます。
結果として「モナ・リザ」は発見されず、翌朝、警察に通報され、ルーブル美術館は、三日間休館と成り、徹底的な調査が行われ、その日の午後、額だけが発見され、展覧室に通じる扉のノブが、近くの側溝から発見され、犯人は扉のノブを内側から分解して、逃走した事が推測されたものの、そのほかに手掛かりは発見されませんでした。
事件が公表されるとフランス国内は、大騒ぎとなり、時の議会で関係者は質問を受け、主要な新聞は、発見者に賞金提供を申し出ました。
中には犯人を占った、占い師に賞金を出す(!)と迄公表した新聞社も在った程、フランス国民の関心事に成りました。
犯人の手掛かりも無いまま、ルーブル美術館は再開されましたが、館長のオユーモ氏は休職と成り、当時の美術館責任者の多くは、交替と成り、職員の数に比較して、美術館が広すぎる事から一部の施設を閉鎖する結果となりました。
11月に成り、ルーブル美術館の警備関係者7名が、裁判所に召喚され、無断外出の1名と居眠りをしていた1名はは有罪とされ、その間、パリ警視庁には犯人に関する密告も多数寄せられ、捜査も進み、取り調べを受けた人物も多数に及びました。
その中で特に有名なのは、詩人のアポリネールで、彼の参考人として、あのパブロ・ピカソも警察に呼ばれています。
当時アポリネールが、秘書として雇用していた、ゲリー・ピュレェは「ルーブル位、泥棒するのに楽な所は無い」と言い、時々小さな彫刻等を盗みだしましたが、その頃のルーブル美術館は、監視人も少なく、その気に成れば、小さな物を盗み取る位、容易で在ったらしいのです。
ゲリーは盗んだ彫刻等を、アポリネールやピカソに贈った上に、自分の泥棒稼業を或る雑誌に投稿した程でした。
アポリネールとピカソは、ゲリーからの“贈り物”を鞄に入れて、セーヌ川に捨てようと、二人で真夜中に川の辺を歩き続けます。
しかし、誰かに尾行されている様な気配がして、とうとう鞄を捨てられず、一晩中歩き回りました。
やがて、終に二人は警察に呼び出され、その時、気の強そうなピカソも、警察と聞いて脅え、“振るえてズボンもなかなか履く事が出来なかった”と伝えられています。
問題の彫刻は、ルーブル美術館に既にこっそりと戻していた事、事件も可也昔の事で在った為、二人は無事に許されて家に帰る事ができました。
「モナ・リザ盗難事件」は、迷宮入りした様に思われましたが、1913年12月12日、急転直下解決します。
フィレンツェの古美術商に、レオナルディと名乗り「モナ・リザ」を売りに来た男がいました。
古美術商は、「専門家に立会いを求め、本物で有ったら購入しよう」と告げ、レオナルディはこの条件を受入ました。
専門の鑑定士は、この「モナ・リザ」を本物と鑑定し、レオナルディはその場で身柄を現地の公安当局に束縛されます。
この男の本名は、ヴィンセンコ・ペルージアで塗装工でした。
イタリア人ですが、フランスに出稼ぎに行き、事件当時はルーブル美術館で絵にニスを塗る作業を行っていました。「ナポレオンが、イタリアから絵画や彫刻を幾つも略奪していったから、その仇を討ったのだ」と彼は証言したと伝えられています。
やっと「モナ・リザ」はルーブル美術館の本来に場所に戻り、翌年1月4日から公開されました。
この事件は、結末が余りにも“間の抜けた”終結で、その発見直後から疑問を呈していた様です。
古美術商に持ち込めば、公安関係者(イタリアには、美術専門の特捜警察組織が現在も存在します)に通報され、拘束される事は明らかであり、2年近くも隠匿しながら、何故その様な安易な行為を行ったのでしょうか?
この2年の間に精巧な模写が描かれ、ルーブル美術館に戻った「モナ・リザ」は贋作の方で在ると考える人物も多く存在しています。
補遺
森鴎外には、外国新聞からおもしろいニュースを見つけて翻訳し、「椋鳥通信」「水のあなたより」等と題して、海外からの便りの形をとって、雑誌「ずばる」等に連載したものが在り、「鴎外全集」にも収録されています。
その部分を読むと、モナ・リザ盗難事件の発生から解決迄を辿る事ができます。
続く・・・
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コメント
美術品の盗難は、意外なほど安直な盗み方や換金法を取る例がしばしばありますね。
そのために取り戻された絵画も、大きな損傷を受ける例も多く残念です。
2013-11-25 21:15 kopanda06 URL 編集