歴史のお話その268:語り継がれる伝説、伝承、物語55
<イズミル行き急行列車>

イズミル、ギリシャ時代のアゴラ跡
◎同席の少女
イスタンブールからの車中で、向かい側の席に乗り合わせた黒髪の少女を、考古学者ジェームス・メイラートは最初全く気に留めていませんでした。
しかし、彼女の腕輪が目に入ると、無関心では居られなく成りました。
腕輪は明らかに数千年の歳月を経た、純金の品でしたが、この腕輪を目に留めた事がメイラートを膨大な宝の山へ、そして誹謗、中傷から身を守る長い闘いへと導く結果と成りました。
全てはペテンなのか?其れともメイラートの名声を損なおうと企てられた、罠に落ちたのか?何れにせよ、事の発端では、彼は突然現れた幸運に、我目を疑うばかりでした。
その腕輪を見て無関心で居られる考古学者は、一人として居なかったでしょう。
トルコの田園をゆっくりと走る列車の中で、メイラートは少女に話しかけました。
腕輪は自宅に在る物の一つで、他に在るから見せてあげましょうと答えました。
エーゲ海に面するイズミル(スルミナ)が近く成った頃、メイラートは期待の余り、正気を失いそうに成りました。
1958年の或る夕べの事、気も漫ろにフェリーとタクシーを乗り継いで少女の家へと急ぎ、其処で彼は衣装棚から取り出される宝物を目の当たりにしたのでした。
メイラートは仰天しました。
ツタンカーメンの王墓発見に等しい大発見が、目の前に展開されているのです。
写真撮影を少女は断ったものの、スケッチなら構わないと答え、その間、自宅に滞在する事を許したのでした。
当然の様にメイラートは、その申し出に飛びつき、数日間、寝食を忘れて夢のような財宝の調査に没頭しました。
不雑な文様を模写し、象形文字の拓本を取り、あらゆる細部を記録していきました。
◎歴史を書き変える発見
メイラートにとって、発見の意味は呆然とする程、大きなものでした。
宝物は4500年前、青銅器時代の遺物であり、ギリシアの詩人ホメロスが、叙事詩「イーリアス」に詠った古代都市トロイの近くに、大海上交易都市が栄華を極めた事を立証する、初めての証拠に、自分が行き会った事を彼は知ったのでした。
この都市の発見は、考古学者の永年の悲願でも在りました。
或る夜遅く、彼は漸く調査を終えて、少女の自宅をあとにしました。
彼が少女とその宝物を見たのは、其れが最後で、発見の鍵を握る少女自身の事について、殆ど何も知らない事にメイラートが気づいたのは、相当後に成ってからでした。
彼女がアメリカ訛りの在る、英語をしゃべっていた事位しか、彼には思い出せませんでした。
住所はカジム・ディレク通り217番地、名前はアンナ・バストラーティと少女は名乗っていました。
裏づけを一切取らず、彼女の言い分を鵜呑みにしたのが、メイラートの躓きの第一歩で、後にトルコ政府の調査官が調査した処、少女の存在もそして彼が数日を過ごした住所も存在しない事が明白に成りました。
更に、アンカラのイギリス考古学協会の上司シートン・ロイド教授に報告した時、メイラートは第2の失敗を犯ししました。
ロイド教授の助手をしていた彼は、6年前に秘密を発見したが、今迄発見を公表する許可が得られず、伏せていたと嘘を報告したのでした。
彼は4年前に結婚したいたので、他の女性と数日間、一つ屋根の下で暮らした事がゴシップと成り、妻を悩ませたく無いと言う事なのですが、他愛の無い理由からとは言え、嘘を報告した事に変わりは在りませんでした。
◎着かなかった手紙
1959年11月「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙上に発見を公表した後、自分に浴びせられた汚名を雪ぐ長い苦しい闘いの期間を通じて、メイラートは2つの失敗を返す返す、悔やまなくては成りませんでした。
彼は事前にトルコ共和国の考古局に、発表計画を通知していましたが、その手紙は配達されませんでした。
メイラートのスケッチが掲載された記事が、公表されると、当然ながらトルコ当局は激怒します。
宝物は何処にあるのか?何処で発見されたのか?なぜ是まで隠匿されていたのか?当局は返答を要求してきました。
貴重な国家の文化財が失われたとして、関係者はメイラートを責め立てます。
メイラートは、知りうる限りの情報を提供したものの、アンナと名乗る少女と宝物は、忽然と消え失せていました。
◎非難
宝物の喪失にメイラートが何らかの形で、関与していた証拠は見つかりませんでした。
にもかかわらず、トルコの新聞各紙は、人身攻撃のキャンペーンを展開します。
「宝物は、第一次世界大戦直後、ドラクと云うギリシアの寒村で発見されたと少女が語った」と云うメイラートの話は彼の創作で、事実は謎の少女とイズミルに居た、1950年代に発掘されたのだと。
新聞の憶測記事は、直ぐに否定されましたが、個人攻撃と敵視は続きました。
トルコ公安機関の取調べは終了したものの、メイラートの其れまでの貢献は無視され、それ以後トルコの考古学的遺跡での一切の調査を禁止されてしまいます。
背後に有力な敵が動いている様子が存在しました。
彼らはメイラートが自分の出世の為に、この話を仕組んだと思わせて、彼の信頼を失墜させようと仕組んだのでしょう。
メイラートは既に考古学の世界で、世界的な名声を得ており、改めて自己宣伝の策略を弄する必要は在りませんでした。
では、アンナと名乗る少女は何者なのでしょう?
あの日、列車にメイラートと乗り合わせたのは、全くの偶然ではなく、身に着けた腕輪が考古学者の関心を引かずには置かない事を十分に心得た何者かが、少女を向かい側の席に座らせたのではないのでしょうか?
◎組織の標的
メイラートは、古美術品の密売グループが仕掛けた、巧妙な罠の餌食に成ったとも考えられます。
彼らはドラクの財宝を隠し、売却する機会を窺がっていたのではないのでしょうか?
メイラートの様な名声の高い専門家の鑑定が在れば、闇市場での商品価値は上昇し、当然ながらその値段も急上昇する事を密売グループは、十分知っていました。
権威有る、「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙の記事は、密売グループに取って、品質保証書に匹敵する価値あるものでした。
其れゆえ、宝物は既に世界各国に存在する、コレクターの元に送られてしまったのかもしれません。
若しも、この推測が正しいなら、少女アンナと失われた財宝の真相は、永遠に封じられた事に成ります。
続く・・・

イズミル、ギリシャ時代のアゴラ跡
◎同席の少女
イスタンブールからの車中で、向かい側の席に乗り合わせた黒髪の少女を、考古学者ジェームス・メイラートは最初全く気に留めていませんでした。
しかし、彼女の腕輪が目に入ると、無関心では居られなく成りました。
腕輪は明らかに数千年の歳月を経た、純金の品でしたが、この腕輪を目に留めた事がメイラートを膨大な宝の山へ、そして誹謗、中傷から身を守る長い闘いへと導く結果と成りました。
全てはペテンなのか?其れともメイラートの名声を損なおうと企てられた、罠に落ちたのか?何れにせよ、事の発端では、彼は突然現れた幸運に、我目を疑うばかりでした。
その腕輪を見て無関心で居られる考古学者は、一人として居なかったでしょう。
トルコの田園をゆっくりと走る列車の中で、メイラートは少女に話しかけました。
腕輪は自宅に在る物の一つで、他に在るから見せてあげましょうと答えました。
エーゲ海に面するイズミル(スルミナ)が近く成った頃、メイラートは期待の余り、正気を失いそうに成りました。
1958年の或る夕べの事、気も漫ろにフェリーとタクシーを乗り継いで少女の家へと急ぎ、其処で彼は衣装棚から取り出される宝物を目の当たりにしたのでした。
メイラートは仰天しました。
ツタンカーメンの王墓発見に等しい大発見が、目の前に展開されているのです。
写真撮影を少女は断ったものの、スケッチなら構わないと答え、その間、自宅に滞在する事を許したのでした。
当然の様にメイラートは、その申し出に飛びつき、数日間、寝食を忘れて夢のような財宝の調査に没頭しました。
不雑な文様を模写し、象形文字の拓本を取り、あらゆる細部を記録していきました。
◎歴史を書き変える発見
メイラートにとって、発見の意味は呆然とする程、大きなものでした。
宝物は4500年前、青銅器時代の遺物であり、ギリシアの詩人ホメロスが、叙事詩「イーリアス」に詠った古代都市トロイの近くに、大海上交易都市が栄華を極めた事を立証する、初めての証拠に、自分が行き会った事を彼は知ったのでした。
この都市の発見は、考古学者の永年の悲願でも在りました。
或る夜遅く、彼は漸く調査を終えて、少女の自宅をあとにしました。
彼が少女とその宝物を見たのは、其れが最後で、発見の鍵を握る少女自身の事について、殆ど何も知らない事にメイラートが気づいたのは、相当後に成ってからでした。
彼女がアメリカ訛りの在る、英語をしゃべっていた事位しか、彼には思い出せませんでした。
住所はカジム・ディレク通り217番地、名前はアンナ・バストラーティと少女は名乗っていました。
裏づけを一切取らず、彼女の言い分を鵜呑みにしたのが、メイラートの躓きの第一歩で、後にトルコ政府の調査官が調査した処、少女の存在もそして彼が数日を過ごした住所も存在しない事が明白に成りました。
更に、アンカラのイギリス考古学協会の上司シートン・ロイド教授に報告した時、メイラートは第2の失敗を犯ししました。
ロイド教授の助手をしていた彼は、6年前に秘密を発見したが、今迄発見を公表する許可が得られず、伏せていたと嘘を報告したのでした。
彼は4年前に結婚したいたので、他の女性と数日間、一つ屋根の下で暮らした事がゴシップと成り、妻を悩ませたく無いと言う事なのですが、他愛の無い理由からとは言え、嘘を報告した事に変わりは在りませんでした。
◎着かなかった手紙
1959年11月「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙上に発見を公表した後、自分に浴びせられた汚名を雪ぐ長い苦しい闘いの期間を通じて、メイラートは2つの失敗を返す返す、悔やまなくては成りませんでした。
彼は事前にトルコ共和国の考古局に、発表計画を通知していましたが、その手紙は配達されませんでした。
メイラートのスケッチが掲載された記事が、公表されると、当然ながらトルコ当局は激怒します。
宝物は何処にあるのか?何処で発見されたのか?なぜ是まで隠匿されていたのか?当局は返答を要求してきました。
貴重な国家の文化財が失われたとして、関係者はメイラートを責め立てます。
メイラートは、知りうる限りの情報を提供したものの、アンナと名乗る少女と宝物は、忽然と消え失せていました。
◎非難
宝物の喪失にメイラートが何らかの形で、関与していた証拠は見つかりませんでした。
にもかかわらず、トルコの新聞各紙は、人身攻撃のキャンペーンを展開します。
「宝物は、第一次世界大戦直後、ドラクと云うギリシアの寒村で発見されたと少女が語った」と云うメイラートの話は彼の創作で、事実は謎の少女とイズミルに居た、1950年代に発掘されたのだと。
新聞の憶測記事は、直ぐに否定されましたが、個人攻撃と敵視は続きました。
トルコ公安機関の取調べは終了したものの、メイラートの其れまでの貢献は無視され、それ以後トルコの考古学的遺跡での一切の調査を禁止されてしまいます。
背後に有力な敵が動いている様子が存在しました。
彼らはメイラートが自分の出世の為に、この話を仕組んだと思わせて、彼の信頼を失墜させようと仕組んだのでしょう。
メイラートは既に考古学の世界で、世界的な名声を得ており、改めて自己宣伝の策略を弄する必要は在りませんでした。
では、アンナと名乗る少女は何者なのでしょう?
あの日、列車にメイラートと乗り合わせたのは、全くの偶然ではなく、身に着けた腕輪が考古学者の関心を引かずには置かない事を十分に心得た何者かが、少女を向かい側の席に座らせたのではないのでしょうか?
◎組織の標的
メイラートは、古美術品の密売グループが仕掛けた、巧妙な罠の餌食に成ったとも考えられます。
彼らはドラクの財宝を隠し、売却する機会を窺がっていたのではないのでしょうか?
メイラートの様な名声の高い専門家の鑑定が在れば、闇市場での商品価値は上昇し、当然ながらその値段も急上昇する事を密売グループは、十分知っていました。
権威有る、「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」紙の記事は、密売グループに取って、品質保証書に匹敵する価値あるものでした。
其れゆえ、宝物は既に世界各国に存在する、コレクターの元に送られてしまったのかもしれません。
若しも、この推測が正しいなら、少女アンナと失われた財宝の真相は、永遠に封じられた事に成ります。
続く・・・
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コメント
また遊びに来ます!!
2014-02-22 11:54 職務経歴書の書き方の見本 URL 編集