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2013/11/27

歴史のお話その269:語り継がれる伝説、伝承、物語56

<パリ万国博の悪夢>

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1889年パリ万国博覧会(第4回)

 1889年のパリは、折から開催中の万国博覧会で、ごった返し、ホテルは何処も満室でした。
5月の或る日、イギリス人の母娘が、マルセイユからパリに遣って着ました。
インドからの帰途、マルセイユに上陸したのです。
母娘は、パリでも取分け名高いホテルにシングル・ルームを2部屋とりました。

 二人は宿帳にサインを済ませると、部屋に上がっていきました。
母親の部屋は342号室、ディープパープルのベルベットの重々しいカーテン、背もたれの高いソファー、楕円形のマホガニー製のテーブル等、豪華な部屋でした。

 処が、部屋に入るとほとんど同時に、母親は突然発病して、ベッドに伏せてしまいました。
診察を行ったホテル付の医師は、娘を呼んで幾つかの質問をした後、医師はホテルの支配人と部屋の片隅で、なにやら慌ただしく相談をしました。

 医師は娘に指示を与えます。
「母上は重病にかかっておられ、特別の薬が必要なのだが、その薬は、パリのこのホテルから反対側に在る、私の診療所にしか、置いていない。
私は、患者の傍を離れる事ができないので、私の馬車を使って取って来て貰えないだろうか?」

 娘を乗せた馬車は、腹立たしい程のろのろと走り、漸く到着した診療所でも長時間待たされ、帰途も往路と同様苛立たしい速度で走り、彼女が漸く、薬を手にホテルに戻って来た時は、4時間と云う時間が過ぎていました。

 馬車を飛び降りると、ロビーに駆け込み、「母の具合はどう?」と彼女は支配人に問いかけました。
支配人は、彼女をまじまじと見つめ、「どなた様の事でございましょうか?お嬢様」。
娘は口ごもりながら、時間が酷くかかった理由を説明しますが・・・。
しかし、「お嬢様、母上の事は何も存じ上げません。あなたはお一人で、お着きに成ったのですから」。

 娘は、半狂乱に成って抗議し、「でも、たった数時間前に、宿帳にサインしたばかりじゃないの!確かめて下さい!」。
支配人は宿帳を開いて、ページに指を走らせました。
中ほどに彼女のサインが在り、しかしすぐ上の、母親が記帳した場所には、別人のサインが書かれていました。
「私と母は、二人ともサインをしたわ!」と娘は言い張り、「母は342号室に入ったわ、今もその部屋に居るはずよ!母にすぐ会わせてちょうだい!」と懇願しました。

 ホテルの支配人は、その部屋にはフランス人が宿泊していると答えましたが、娘は部屋へ向かいました。
342号室には人気は無く、見知らぬ人物の所持品が置かれ、ディープパープルのカーテンも、背もたれの高いソファーも、総て消えうせており、廊下で彼女は、ホテルの医師に出会い、母親の事を尋ねましたが、彼も又、娘に会ったことは無く、ましてその母親を診察した覚えは無いと主張しました。

 娘は、事の次第をイギリス大使館に訴えたものの、大使館側はまともに取り合わず、警察も新聞社も反応は同様で、最後に娘は、精神病尾に隔離されました。

 さて、この奇怪な事件の真相は、娘と母親の出発地がインドであり、当時インドでは、ペストが猛威をふるっていたのでした。
母親を診察した医師は、すぐさまその症状からペストに気づき、この事実が表に出る事は、万国博覧会が台無しになる事を恐れ、事実を隠蔽した結果と思われます。
但し、母親がその後どうなったのか?遺体等の問題等、謎は依然残っています。

続く・・・

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