2013/12/09

歴史のお話その278:語り継がれる伝説、伝承、物語65

<英雄に成った死体・ミンスミート作戦>

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シチリア侵攻(ハスキー作戦・1943年7月10日)

 スペインのある墓地に、1人のイギリス人が眠っています。
この人物は生前、祖国に殆んど何も貢献しなかったかも知れませんが、イギリスの秋の湿気の為、肺炎に罹り死亡した後、ナチス情報部を攪乱させ、数千人の将兵の命を救ったのでした。

 1942年、北アフリカ戦線での戦いが終息を向え様としていた頃、連合軍の次なる作戦がシチリア島攻略作戦である事をドイツ情報部に察知されてしまいます。
大至急、その情報が誤りである事とドイツ側に思わせなければ成りませんでした。

 イギリス海軍情報部は、一計を案じます。
死体を用意し、飛行機事故で死亡したと偽装して、その死体が中立国スペインの海岸に打ち上げられる様にし、死体には、極秘指令書に偽装した情報を忍ばせておき、ドイツスパイが其れを盗み見る様に仕向けました。

 第一の仕事は、溺死体に見える死体探しから始まり、肺炎患者の遺体が、身元を決して明かさない条件で取得されました。
死者は、イギリス海兵隊所属ウィリアム・マーチン少佐に生まれ変わり、彼が携行した書類の中には、イギリス参謀本部副部長がアフリカの第18陸軍師団司令官、アレクサンダー将軍に宛てた手紙が忍ばされていました。
手紙には、彼の意見が通らず、侵攻目標がシチリアではなく、何処か別に場所に変更されたと記されていたのでした。

 マーチン少佐は、マウントバッテン卿が地中海艦隊司令官のサー・アンドルー・カニンガムに宛てた書簡も携えており、其処には、一見不用意に洩らしたと見える言葉が、さり気無く書かれており、予定侵攻地点はサルジニア島で在るかの様に仄めかされていました。

 少佐は1943年4月19日、イギリス海軍潜水艦セラフ号の魚雷室に隠され、最初で最後の任務に出撃しました。
11日後の夜、死体は海中に下ろされ、翌朝、海流がウエルパの海岸に運び、漁師に発見されました。
スペイン当局はイギリス領事館に連絡を取り、少佐は最高の礼をもって軍葬に付されます。
しかし、書類に関するスペイン側の報告は、一切有りませんでした。

 スペインに対して、緊急要請が行われ、書類は最終的に5月13日、イギリスの手に戻されます。
精密調査が行われ、封筒が開けられた事が判明しますが、マーチン少佐の貢献が充分に確認されたのは、終戦の後でした。
ヒトラーは、連合軍の侵攻地点をサルジニア島と断定したいたのです。

 ドイツ軍最高司令部は、勢力を分散し、防衛線に弱点をつくり、連合軍は当にその地点を突いたのです。
シチリア侵攻作戦を迎え撃ったのはイタリア軍と、ドイツ軍の僅か2個師団だけで、その結果、上陸時の連合軍の犠牲は最小限に食い止められ、侵攻作戦は大成功に終わったのでした。

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イギリス海兵隊、ウィリアム・マーチン少佐身分証

続く・・・
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