2013/12/13

歴史のお話その282:語り継がれる伝説、伝承、物語69

<参戦にNOと訴えた女性 ジャネット・ランキン>

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 アメリカ合衆国、モンタナ州ミズーラの牧場主と教師の子として生まれた彼女は、モンタナ州立大学を卒業後、ニューヨークに移住、その後シアトルのワシントン大学に入学し、初期の選挙権運動に参加しました。

 1916年下院議員に共和党から出馬し、モンタナ州選出議員として当選を果たしますが、間も無くアメリカは第一次世界大戦参戦への道を進み始めます。
参戦を決める議決において、彼女は他の55名とともに反対し、マスメディアで痛烈に非難され、1918年には無所属候補として立候補しましたが落選してしまいます。

 その後約20年間、ワシントンD.C.でロビイスト(圧力団体の利益を政治に反映させるために、政党・議員・官僚などに働きかけることを専門とする人々)として活動を続け、1940年、彼女は再び政治の舞台を目指します。

 反戦を政策に掲げ、再び下院議員に当選したのですが、日本がアメリカに行った真珠湾攻撃の後に開かれた議会に於いて日本への宣戦布告を採決。
上院 賛成82、反対0、欠席15(採決に間に合わなかった為)
下院 賛成388、反対1、欠席41
アメリカの参戦が決定しました。

 上院・下院を通じてただ一人反対票を投じた彼女は、「私は女なので戦争には行けません。ですから他人を戦場に送ることは拒否します。」と発言したのでした。
轟々たる非難の中、ボディーガードに守られたジャネットは議会を後にします。
もちろん、戦争に突進するアメリカ国内の非難は凄まじく、更にはドイツ・イタリア宣戦布告の採決の際に「インディアンの選抜徴兵反対法案」を提出し全米を敵に回したのでした。

 彼女はマハトマ・ガンジーの穂暴力主義に共感したアメリカ下院初の女性議員であり、国政レベルにおいて投票で選ばれた世界初の女性議員でも在ります。
第二次世界大戦時の反対票を投じたジェネット・ランキンを、カンザス州の地方紙「エンポリア・ガゼット」はこう評していました。
「何という勇気ある行為であろうか。今から100年後のこの国で、道徳的義憤に基づく勇気が、真の勇気が称えられる時、信念のために愚かしくも堂々と立ち上がったジャネット・ランキンの名前が、その業績の故ではなく、その行為故に記念の銅像に刻まれるであろう」
今彼女はアメリカの良心として、モンタナ州・州政庁の前に銅像と碑文が建てられている。
その碑文には、「私は戦争に行くことが出来ません」と刻まれています。

 世界中で未だ戦争は無くなっていません。

続く・・・


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