2013/12/17

歴史のお話その285:語り継がれる伝説、伝承、物語72

<切り裂きジャックその②>

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◎警察署長の不可解な命令

 9月30日の夜、切り裂きジャックは更に2人の女性をその犠牲者に加え、そして唯一の手掛りを残して行きました。
その一人、リズ・ストライドは発見当時、未だ生きていました。
その場所から僅かな場所に、ケート・エダウズの哀れな亡骸が放置され、とある建物の入り口に血痕が続き、其処にチョークで書かれた殴り書きが見つかりました。
「ユダヤ人は、故無くして、責められる民族では無い」
この言葉は、切り裂きジャックが、ユダヤ人で、彼をつま弾きにする、社会に復習している事を意味している様でした。
このメッセージの意味は、極めて重要な筈でしたが、当然成すべき調査は実施されず、不可解な事に、警察署長チャールズ・オーエン卿は、文字を消す様に命じたのでした。

 シティーは一夜に2人の連続殺人事件に戦慄し、流言飛語が増大しました。
切り裂きジャックは、頭の狂った医者だ、ロシア帝国の秘密工作員が、スコットランド・ヤードの信頼を失墜させようとしている、この街の悪徳と憎悪する清教徒だ・・・・・等。
切り裂きジャックの実態は男性ではなく、女性で売春婦に狂信的な憎悪を持った人物とも噂されました。
しかし、誰にも、正体を明かすことなく、11月9日、彼は次の殺人を実行しました。

◎謎の死を遂げた容疑者

 25歳のメアリー・ケリーの生前の姿を最後に見たのは、ジョージ・ハッチンと名乗る通りすがりの男でした。
彼女は、彼に一夜の宿の代金を強請り、それからメアリーは鳥打帽を被った、小柄な身なりの良い男性に近づいて行きました。
翌朝、メアリーの惨殺死体が発見されました。

 メアリー・ケリーは切り裂きジャックの最後の犠牲者で、スコットランド・ヤードの刑事達は、以来彼の痕跡を追跡していましたが、決定的な証拠は見つかりませんでした。
やがて関係機関資料は、1992年迄スコットランド・ヤードに保管され公開されない事に成りました。(2011年現在公開された痕跡は無し)

 さて、切り裂きジャックはその痕跡を殆ど残すことなく、殺人を犯す度に、恐怖に騒ぎ立てる群衆の後ろに姿を消しました。
彼が貧困の中で育ったのであれば、外科的医学知識は何処で身につけたのでしょう?
逆に富裕者なら、何故イーストエンドの貧民窟で、目立たずに溶け込めたのでしょう?
そして、当時の外科医の推測では、数々の恐るべき犯行は、最低でも1時間を要したはずですが、何故、人知れず犯行を繰り返す事が出来たのでしょう?
これ等の疑問は、現在も解けておらず、メアリー・ケリー事件の後、数ヶ月にして事件は迷宮入りしてしまいました。

 切り裂きジャックの素性に関して、最も説得力のある意見は、作家ダニエル・フォーソンの立てた説の様に思われます。
彼は調査の基礎を、メルビル・マクナフテン卿の調査記録に置きました。
マクナフテン卿は、殺人事件の発生した翌年、スコットランド・ヤードに入り、1903年には犯罪捜査部長に成った人物でした。
彼の調査記録によれば、警察は3人の容疑者に捜査を集中させていました。
ミハエル・オストログという、殺人歴を持つロシア人の医師、コスマンスキという、女嫌いのポーランド系ユダヤ人、そして、モンタギュウー・ジョン・ドルイットという、不良弁護士で、警察はドルイットを犯人と断定していました。

 ドルイットの家系を長年に渡って調査した後、ファーソンもこの意見に賛同しています。
そして、ドルイットの一族も、彼が切り裂きジャックであると考えていたと思われます。
ファーソンの指摘によれば、彼の従兄弟、ライオネル・ドルイット博士は、一番遠い殺人現場からでも歩いて10分の場所にオフィスを構えており、加えて、ドルイットの母親は精神病患者で、ドルイット自身、発狂するのではなかと、恐れていたと云います。

 ドルイットは最後の殺人事件が発生して間も無く、行方不明に成り、7週間後の1888年12月31日、テームズ川に彼の死体が浮かんでいました。
ドルイットは自殺したのか?彼も又殺人者の犠牲に成ったのか?その総てを知っているのは、切り裂きジャックだけなのです。
しかし、切り裂きジャックが誰であるにせよ、その恐ろしい秘密は永遠の闇に葬られました。

続く・・・

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