2013/12/26

歴史のお話その293:語り継がれる伝説、伝承、物語80

<辻 政信氏の失踪:その②>

http_imgload.jpg


◎僧衣に姿を変えて出発

 ビエンチャンのホテルに宿泊していたはずの辻氏は、一体何処に失踪したのでしょうか?
しかし、間もなく謎の一部は明らかに成りました。
辻氏は東南アジア風の黄色い僧衣に着替えて、日本の位の高い僧「高木」と名乗り、同地の有名な寺院であるクンタ寺院の僧侶二人の案内で、4月19日ビエンチャンを出発した事が判りました。

 その情報源によれば、辻氏は最初の二人の僧侶の案内で或る地域に赴き、次には又別の僧侶の案内を受けるという具合に、寺院から寺院をリレーする方法で、奥地に入って行ったと云います。
更に新しい情報では、6月頃ビエンチャンの東北に在る旧都ルアンブラバンに通じる国道13号線上に位置するバンビエンの街で辻氏の目撃証言も得られました。

 是で、辻氏が僧侶の姿をして奥地に進んだらしい事は判明したものの、謎は解けるよりも更に新たな謎が発生しました。
なぜなら、辻氏は何の目的でそんな場所へ行ったのか?何故僧侶に返送する必要が有ったのか?そして、辻氏は其れを誰にも知らせず、なぜ帰らないのでしょうか?

◎各国情報機関も極秘で追跡

 僅かな情報が得られた事で、辻氏失踪の謎は、かえって大きな謎を呼び、一時は日本国中の話題と成りました。
外務省は、関係各国の日本大使館に徹底的な情報収集を指令し、関係諸国にも、又国際赤十字にも強力な捜索活動を要請しました。
無論、アメリカの中央情報局をはじめ、各国の情報機関も、独自の関心から極秘の調査を開始します。

 昭和38年秋、既に失踪から2年以上を経過していましたが、非常に確度の高い情報が届けられます。
自由民主党の森山 欽司代議士と駐在ラオス大使の蓮見氏が、ラオスのフォンバサン内相と会談した時、「1961年4月、私が中立派大使としてバンビエンでラオス三派の停戦交渉にあたっている時、辻氏に会いました。彼は僧衣では無く、背広姿でした。辻氏は自分の身分を証明する為、エジプトのナセル大統領と握手している写真を見せ、是から北ベトナム(当時)のハノイに行きたいとの申し出を受け、私は自分の名刺に署名して、通行証を作成して渡しました。辻氏はその後、徒歩でジャール平原の方面に出発したと聞いています」との証言を得ました。

 確かに辻氏は、ビエンチャンからバンビエンに達しており、この確度の高い情報を基に、改めて捜索が行われましたが、終にバンビエンから先の足取りは、現在でも判明していません。
果たして、バンビエンから辻氏は、何処へ向い、どうしているのでしょうか?

 当時から現在迄多くの情報、推測が成されており、其れを列挙すると、以下

1)ジャール平原からハノイに行き、更に中国領内に入った。
2)中国の吉林省で、ゲリラ部隊の訓練をしている。
3)ラオスから直接中国に入り、北京10日滞在していた。
4)アメリカ軍に何らかの理由で射殺された。
5)キューバでカストロ首相援助の仕事をしている。
6)某西側組織に抑留されている。
7)ビルマ、タイ国境付近にある旧国民政府系残党勢力地帯に潜入している。
8)ラオスから中国昆明に行き、其処で死亡した。

 以上の情報に確証が存在する訳ではなく、当時の国際情勢を反映した憶測も含まれている事が判ると思います。
しかし、辻氏は、冒頭でも述べた様に、かつて連合軍の厳しい追及を逃れて、三千里の潜行をやってのけた人物で、そうむざむざと倒れるとは考え難い事も確かなのです。
当時、かつての辻氏を知る人々は「必ず何処かで想像もつかない様な事をしているのではないだろうか」と其の生存を信じている人も少なく有りませんでした。

 日本議会史上類例の無い、現職国会議員失踪は、果てる事の無い興味をそそる不思議な事件なのです。

続く・・・

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント