2014/01/06

歴史のお話その299:語り継がれる伝説、伝承、物語86

<開戦前夜:ハルノートその②>

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択捉島単冠湾の南雲艦隊

◎ハルノート

 太平洋戦争直前の日米交渉末期、ハル国務長官により1941年(昭和16年)11月20日の日本の野村吉三郎大使による打開案(乙案)に対する回答として提示され、同時に口頭で乙案を拒否しています。
ハルノートでは、アメリカが日本と大英帝国、中華民国、オランダ、ソ連、タイとの包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めています。

 内様は以下の10項目から構成されています。

1.アメリカと日本は、大英帝国、中華民国、オランダ、ソ連、タイ間の包括的な不可侵条約を提案する。
2.フランス領インドシナからの日本の即時撤兵。
3.日本の中国及び印度支那から即時の撤兵、中国(原文China)が、日本の傀儡国家とされる満州国を含むかには議論があり、アメリカ側は満州を除いた中国大陸を考えていたと言う説があるが、満州国は法律上、中国からの租借地であるという歴史があり、日本側も満州を含んだ中国大陸と考えていたと思われる。
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中華民国以外の全ての政府を認めない 。
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄。
6.通商条約再締結のための交渉の開始。
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除。
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立。
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄。
10.本協定内容の両国による推進。

◎日本の反応(攻撃までの経緯)

 東郷茂徳外相はハルノートに大変失望し外交による解決を断念しました。(以下東郷外相の言葉)
「自分は目も暗むばかりの失望に撃たれた」
「長年に渉る日本の犠牲を無視し極東における大国たる地位を捨てよと言うのである、然しこれは日本の自殺に等しい」
「この公文は日本に対して全面的屈服か戦争かを強要する以上の意義、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えないようである。少なくともタイムリミットのない最後通牒と云うべきは当然である」

 当時、東郷外相は中国の暗号を解読することで、アメリカ側に於いて日本の乙案よりも緩やかな暫定協定案が検討されている事を知っていた可能性が指摘されています。
東郷外相の失望はそれ等を合わせものとも考えられ、日本政府は最後通牒であると受け取り、当時総理大臣であった東条英機も「これは最後通牒です」と述べています。

 この結果、12月1日御前会議で対英米との開戦が決議され、ハルノートが提示される前に択捉島の単冠湾を出航していた機動部隊に向けて、12月1日5時30分「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の攻撃命令が発せられたのでした。

◎日本政府の状況

 日本政府内では当初妥協派が優位でしたが、この条件を提示されたことで、軍部の中に強硬意見が主流になり、その影響で天皇も「開戦やむなし」と判断されたと云われています。
海軍を中心にアメリカとの戦争には勝てない、とする意見が根強く存在したのですが、ハルノートに書かれた条件を受け入れることが出来ない陸軍が、強引に押し切り開戦に踏み切ったとの評価が一般的です。
(但し、当時の日本の石油消費者の半分が海軍であり、残りの3分の2が陸軍、3分の1が民間であること、また日露戦争以来、対米戦だけを念頭に戦備を整えてきたのも海軍であることも事実です。更に開戦直前、石油の備蓄量は海軍が2年半分、陸軍と民間が僅か半年分の確保が成されているに過ぎませんでした。)

 尚、日本がアメリカに提示した交渉の為の乙案は以下の通りです。

1、日米は仏印以外の諸地域に武力進出を行わない。
2、日米は蘭印(オランダ領インドシナ)において石油や錫などの必要資源を得られるよう協力する。
3、アメリカは年間100万キロリットルの航空揮発油を対日供給する。

備考

A交渉が成立すれば日本は南部仏印進駐の日本軍は北部仏印に移駐する。
B日米は通商関係や三国同盟の解釈と履行に関する規定について話し合い、追加挿入する。

続く・・・

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