2014/01/31

歴史のお話その313:語り継がれる伝説、伝承、物語100

<二つの大陸を結ぶ電信線>

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ビクトリア女王からアメリカ合衆国第17代大統領 アンドリュー・ジョンソンへのメッセージ

 大西洋横断電線の敷設工事が、初めて成功したのは、1866年の事でしたが、この快挙は、ニューイングランド出身の実業家、サイラス・W・フィールドが、その事業の先見性と不屈の精神に因るものでした。
彼は、ニューヨークの紙商人として非常な成功をおさめ、可也の資産を築きました。
1852年、33歳で実業界から身を引いたフィールドが、大西洋横断海底電線敷設の可能性に興味を抱き始めたのは、1854年の事でした。

 フィールドはまず、初めて実用となる電信機を発明した、サミュエル・F・B・モースと、ワシントンの国立気象台に勤務する、当時、海洋学の第一人者マシュー・フォンティン・モーリーに手紙を送り、両者は熱烈な賛意を示したのでした。
特にモーリーは、その頃行われた北大西洋海域の調査に結果、ニューファンドランドとアイルランドの間には、海底台地がある事が判明し、海底電線敷設に適した地形である事を教えたのです。

 フィールドはこの吉報を持って、資金調達に奔走し、彼の人を説得する才能は、正に驚くべきもので在った様で、約1年間でイギリス海軍から、電線敷設ルートの調査と、電線敷設作業に対する協力を取り付け、更にイギリス大蔵省から、海底電線が完成するまで、毎年1万4000ドルの補助金支出の約束を得て、民間機関からの資金調達にも成功しました。

◎問題

 しかし、フィールドの母国アメリカの人々は、イギリス人程熱心では在りませんでしたが、其れでも1857年、アメリカ合衆国議会は、電線敷設を援助する為、毎年の補助金支出と、作業船提供に関する法案を僅かな差で可決したのでした。

 一方イギリスでは、電線の製造が進められ、1857年7月に完成を見ます。
電線は膨大な量になり、その重量は1kmあたり600kgという重い物だった為、敷設にはイギリス海軍のアガメムノン号とアメリカ海軍砲艦ナイアガラ号が、使用される事に成りました。

 8月6日、二隻はアイルランド沿岸のバレンシア湾を出港、計画では、ナイアガラ号が積み込んだ電線を敷設しながら、大西洋中部迄進出し、其処でアガメムノン号が積んだ電線に接続の上、アメリカ西海岸のニューファンドランド迄の敷設作業を完了させる事に成っていました。
しかし、二隻のケーブルを送り出す装置が、極めて脆弱な上、ナイアガラ号担当区間の540km進んだ地点で、電線が切断、50万ドル相当の電線が、海底に沈んでしまいます。
二隻は、残った電線を積んだまま、アイルランドに帰還しました。

 1858年には、再度違った方法が採用され、二隻は大西洋の中間地点で会合し、両方に積まれた電線を接続の上、アメリカ艦はニューファンドランドへ、イギリス艦はバレンシア湾に向かって航行する予定でしたが、この方法も3回の切断事故に見舞われてしまいます。

◎束の間の成功

 イギリスで開かれた、大西洋海底電線会社の重役会は、陰気な空気に包まれ、重役の幾人かは辞任してしまいますが、其れでも、もう一度挑戦する事で、役員会議は収拾されました。
7月29日、アガメムノン号とナイアガラ号は、大西洋の中間地点で会合し、最後の電線の送り出しを開始します。
乗組員、関係者の中で作業が成功すると、思っている人間は皆無でしたが、幾度か事故寸前迄行った事もあったにも関わらず、1858年8月5日、ニューファンドランドのナイアガラ号から、バレンシア湾のアガメムノン号へ、初めて信号が打電されます。

 是は、全く予想外の成功で、両国は大変な興奮に包まれました。
9月1日には、フィールドの栄誉を称えて、ニューヨーク市民の歓呼の下、盛大な祝賀会が挙行されます。
しかし、式典の参加者には知らされていませんでしたが、当初から完全に作動していなかった、海底電線が、正に式典の当日、機能停止を起こしてしまいました。

 この事実が公にされると、一般の反響は手厳しいものでした。
電線等最初から敷設されておらず、この事業全体が、フィールドの大掛かりな陰謀だと非難する人物も登場し、イギリスでは、商務省が調査委員会を設置します。
1860年に提出された報告書には、新しい電線の製造、敷設、維持に適切な注意が払われるなら、この事業は成功するとの見解が示されます。

◎最後の勝利

 幾たびも電線の設計と試験を繰り返し後、1865年に新しい電線が製作され、長さ3680km、直系2.5cm以上の太さを有し、中心部の電線は最初期の電線の3倍近く、頑丈に保護され、総重量はその2倍近いものと成りましたが、浮揚性は、遥かにすぐれたものでした。
更に5000トンにも及ぶ資材を1隻で積載出来る、当時世界最大の蒸気船、グレート・イースタン号の使用が可能と成りました。

 1865年7月23日、グレート・イースタン号がバレンシア湾を後にした時、フィールドも乗船しており、今回、彼が抱いている成功への期待は大きかったのです。
しかし、依然として次々と難題が持ち上がります。
電線の表皮に使用した鉄製皮膜が、強度不足で剥がれ易く、3回にわたって電気的事故を誘発し、3回目の事故では、度重なる事故で疲労していた電線が、終に切断され1600km分の電線が海底に没してしまいました。

 今回の失敗は、以前に比べると技術的な面では軽微なものでした。
新たに電線の製造方法を改良し、亜鉛メッキした鉄製皮膜で、電線を包みこむ事で、3850km分の電線を1866年1月に発注、1866年7月13日の金曜日、グレート・イースタン号は、再びアイルランドを出港しました。
13日の金曜日という、ジンクスにも関わらず、今回の作業は終始順調に進み、7月27日グレート・イースタン号は、ニューファンドランド沿岸のハーツ・コンテント(心の満足)に姿を現し、電信局の前に錨を降ろしました。

 今回の航海で、グレート・イースタン号は海底電線の敷設の成功したばかりでは無く、1865年に沈んだ電線の回収にも成功、しかも4000mの深海から回収して、新しい電線と接続するという快挙も成し遂げました。
この結果、2本の海底電線で、イギリスとアメリカは結ばれたのでした。

終に信念の正しさを証明した、フィールドは、感謝の意を込めて、次の様な電文をニューファンドランドからニューヨーク宛てに送信しました。
「ハーツ・コンテント、7月27日、今朝9時現地到着。全て良好。電線敷設完了し完璧に作動中。神に感謝。
サイラス・W・フィールド」

続く・・・

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