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2014/02/03

歴史のお話その314:語り継がれる伝説、伝承、物語101

<戦艦ヴァーサ号>

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 スウェーデン王家の名前をとった、巨大な戦艦ヴァーサ号が、愈々出港するという知らせが広まり、1628年8月10日、ストックホルムの町は興奮した群集で、あふれていました。

 国王グスタフ・アドルフ2世は自ら、この船の建造を命じ、133人の乗組員と300人の戦闘員を乗せるこの戦艦は、全長55m、排水量14,000tに達するもので、3層の甲板には64門の青銅製大砲が設置された強力な戦闘艦でした。

 時刻は午後4時、既に巨大な戦艦の出港準備は完了し、岩壁に詰め掛けた群衆の歓声と、艦隊の礼砲の轟く中、ヴァーサ号は錨を上げ、優雅に岸を離れたのでした。

 その時突然、湾内を突風が吹き抜け、思いがけない悲劇が発生したのです。
その風に、左舷が大きく傾き、乗組員のバランス補正も間に合わず、最下層甲板の開かれた四角い砲門から、大量の海水が一斉に流れ込み、数分の内に海はヴァーサ号を飲み込み、生存者は僅かな人数だけでした。

 さて、ヴァーサ号の悲劇から300年程が過ぎた頃、1人の青年が、二つの手掛かりに導かれて、水中探検史上、最も目覚ましい成果を上げる事になるのです。
第一の手掛かりは、フナクイムシでした。
1930年代も終わりに近い頃、20歳に成ったばかりのアンデルス・フランセンは、スウェーデンの西海岸沖を帆走している時、フナクイムシが穴だらけにした流木を見つけました。
バルト海の帆走に長けていた彼は、是ほどまでに食い荒らされた流木を、其れまで見た事が無かったので、大変不思議に思い、調べてみると、バルト海は塩分が少ない為、ムナクイムシが、其れほど盛んに繁殖しない事が分りました。
彼は、戦艦ヴァーサ号が、現在もバルト海の海底に存在していると推定したのでした。

 古い沈没船を調査する事を夢見ていたフランセンは、第二次世界大戦後、バサ号とその沈没場所について、出来得る限りの情報を収集し、4本爪の錨と牽引ワイヤーで港の底を浚いましたが、4年間全く手掛かりになる様な物品は発見できませんでした。

1956年、終に第二の手掛かりとなる、古い黒く変色した樫材の破片を引き上げ、フランセンは水中で、樫材がこの様に変色するには、100年以上の歳月がかかる事を知っており、古い沈没船に遭遇した事は、間違い有りませんでした。

 彼の推察は的中し、ヴァーサ号は水深35mの海底で、喫水線迄厚さ5mの泥の中に埋まっていたのです。
引き上げの第一段階では、泥の中にトンネルを堀り、船体の下に鉄製ケーブルを潜らせ、沈没船を浮きドックから吊り下げ、浮きドックを上下させる事によって、船を泥から引き出し、浅瀬迄移動させる事に2年の時間を費やしました。

 第二段階では、ダイバーが砲門並びに開口部を全て遮蔽し、ケーブルと浮きドック、水圧ジャッキの力を借りて、1961年4月24日、終にヴァーサ号を水面に引き上げたのでした。

 現在、戦艦ヴァーサ号は、ストックホルムに特別に建設された、博物館に納められており、木材が歪まない様に、絶えず蒸気と薬品が吹き付けられており、博物館には、乗組員の所持品も納められ、衣装箱、武具、道具類、貨幣等が、17世紀の海員生活の素晴らしい縮図を示しています。

続く・・・


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コメント

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こんばんは

フナクイムシの木材から発見。
すばらしい観察力と、その観察結果への探究心と、2つを結びつける洞察力。
実に多くのスキルがあってのものですね。