2014/02/13

歴史のお話その319:語り継がれる伝説、伝承、物語107

<エフェソスのアルテミス神殿>

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 エフェソス(エペソ)の街は、小アジアに実在した、古代イオニア地方12の都市の一つで、紀元前6世紀頃、既に西アジアに於ける商業の中心地として繁栄し、最も富裕な都市と成っていました。
この街から「万物は流転する」と説いた、哲人ヘラクレイトス(紀元前535年~紀元前475年)や、詩人ヒッポクラテスが登場しましたが、この街を最も有名にしたのが、アルテミス(ディアナ)の神殿なのです。

 当時、世界最大の富豪と称えられた、リディア王クレッソス(在位紀元前560年~紀元前546)の提唱で、アルテミス神殿は建立されました。
高さ20mにも及ぶ、壮麗なイオニア風の白亜大理石の円柱を127本使用し、完成迄に120年を費やしたと云われています。
次の世紀にヘロドドスが、エフェソスを訪問した時、この神殿に感歎しエル・ギザのピラミッドやモエリス湖、ラビュリントスに劣らずの、賛嘆の言葉を送っています。

 ヘロドトスのエフェソス訪問から、1世紀ばかり後、この壮麗な神殿は一人の心無い者の仕業によって焼失してしまいます。
紀元前356年10月、ギリシア人ヘロストラトスは、「どうせ悪事を行うなら、後世迄語り告がれる様な悪事を働こう」と云い、神殿に放火したのでした。

 しかし、神殿は、ディノクラティスの手によって再建され、エフェソスの女性達は、修築資金を募る為、自ら宝石類を売却しました。
諸国の王達も、クレッソス王に見習い、円柱を寄進したのです。
アレクサンドロス大王は、アジア遠征の折、完成半ばのアルテミス神殿の壮麗さに感動し、「若し、エフェソスの民が、この神殿を自分の名前で寄進させてくれるなら、建立の全費用を受け持っても良い」と申し出ましたが、「ある神が、他の神の神殿を建立する事は適当では在りません」として固辞したと伝えられています。

 野心の強いエフェソス人は、自分達の神殿を、是までに建立された如何なる神殿よりも、壮麗な物にしようと考え、太陽が月よりも輝く様に、アテネのパルテノン神殿を凌駕する神殿にしようとしました。

 パルテノン神殿は、長さ69m、幅30m、高さ10mであり、大理石の円柱58本で取り囲まれていたので、エフェソス人は自分達の神殿を、何れもパルテノン神殿の2倍とし、長さ120m、幅60m、高さ18m、大理石円柱127本で取り囲む事としました。
神殿の建設資材は、最も純度の高い白亜大理石を用い、その規模の巨大さ、壮麗さは、地中海、アジアに広まっていました。

 紀元前250年頃のエフェソスの街は、非常に巨大で誇りに満ち、全市は殆ど大理石で造られ、人口20万人、13kmに及ぶ城壁に囲まれ、港には、ギリシアやフェニキアの商船が、諸外国の物資や旅行者を乗せて、寄航していました。
彼等はもちろん、商売の為にこの街を訪れているのですが、驚異のアルテミス神殿に詣でる事も又、目的の一つでした。

 神殿に祭られているのは、ギリシア人に取ってはアルテミス神であり、ローマ人に取ってはディアナ神で在る処の貞節の女神でした。
活発な若い女神で、露にした両肩に弓を投げかけ、処女達の守護神でもあり、月の神でも在りました。
同時に大地母神、すなわち母なる大地の神、豊作と繁殖を司る神としても知られ、豊かさを表すこの女神は太っていて、一番目に留まる部分は、幾つもの乳房を下げている事でしょう。
この女神は、東方と西方の融合であり、この豊穣の神は、太古から信仰の対象に成っていました。

続く・・・

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