2014/03/08

歴史のお話その329:語り継がれる伝説、伝承、物語117

<クレタ島のミノス宮殿>

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◎神話の世界

 エジプトとギリシアの中間、地中海とエーゲ海が接する処にクレタ島(ギリシア領)が在ります。
地中海で4番目に大きな島で、エーゲ海文明の中心地として繁栄し、首都クノッソスにはミノス王の宮殿が在り、数多くの伝説が生まれて処でも在ります。

 ミノス王は聡明な統治者であり、その強力な海軍力は地中海世界を席捲し、首都クノッソスは当時人口8万人を要し、当時地中海世界最大の都市でした。
ミノス王には、アンドロゲオスとアドリアネの二人の子供が居り、アンドロゲオス王子は成人に達する頃、国一番の競技者と成り、当時競技の盛んなアテナイに出かけて競技に加わり、ギリシア本土の選手を皆負かしてしまいます。
この事は当時、アテナイを支配したアイゲウス王に伝わり、王はその事実を大変悔しがり、帰国途中のアンドロゲオス王子を殺害してしまいました。

 この事件は、ミノス王を激怒させると供に、その大艦隊はアテナイを攻略し、更に9年の間、毎年12人の貴族出身の若い男女を貢物として、クノッソスに献上する様に命じました。
この男女は、この世で最も残酷な運命が待ち受けているのでした。

 伝説によれば、ミノス王の妃パーシファエは性行に飽く事を知らず、終には己が欲望を満たす為、職人の長ダイダロスを説き伏せて牝牛の形を作らせ、その中に妃が身を潜めて、牡牛と交わったと云います。
かくして生まれたのが、ミノタウロスと云う半身牡牛、半身人間の怪物で、ミノス王は之を恥じ、ダイダロスに命じて造らせた宮殿の真下の地下室、迷宮に閉じ込めたのでした。
迷宮は、多くの通路、階段、部屋、袋小路を伴い、一度この中に入った者は、二度と再び地上に出る事は不可能で、アテナイから貢物として、毎年送られた12人は、この迷宮の中でミノタウロスの餌食と成って行きました。

 毎年、毎年アテナイの若い男女が命を失って行く中、終にアイゲウス王の一人息子、テセウス王子が生贄となる順番が巡って来ました。
テセウス王子は、クレタ島に着くとミノス王の御前に引き出されます。
その時、ミノス王の傍に居た栗色の髪をした、アドリアネ姫がテセウス王子を見初め、何とかしてミノタウロスの餌食に成る事から助けたいと思い、彼に密かに短剣と糸玉を渡します。
「テセウスは土牢に入るにあたり、密かに糸玉の端を戸口に止め、糸を引きつつ内に入りぬ。ラビュリントスの最奥にミノテウロスの姿を見出し、隠し持てる短剣にて怪物の首を突き刺し、糸玉を手繰り戻り、迷宮を抜け出し、アドリアネ姫を伴い、島を逃れ、アテナイに戻りぬ」

◎神話から現実へ

 以上のお話は、ギリシア神話のお話として有名ですが、後世の人々は此れを荒唐無稽のものとしていました。
しかし、ギリシアの人々は古くからこの話を真実とし、アテナイではテセウス王子を第一の勇者と称え、物語や詩歌に詠われ、大理石や青銅の像と成り、しばしば陶磁器の絵柄と成りました。

 19世紀、啓蒙の時代、批判的な歴史家が隆盛するに従い、伝説を史実と見なさない事が科学的な考え方であるとする風潮が一般的と成り伝説は単なる空想的産物に過ぎないと考える様に成りました。
この時代の風潮に相対したのが、ドイツの富豪で探検家のハインリッヒ・シュリーマン(1820年~1890年)で、彼は幼少の頃から、ホメロスの「イリアス」と「オデッセイア」について、事実を詠ったものであると信じ、トロイの発掘を決意し、実行し、成功を修めます。
幼い時代、想像をかきたてたアガメムノンの城壁に内に在った武具、黄金装飾品を発掘し、ホメロスの「黄金のミケナイ」が真実で或る事を世に示しました。
そして、ミケナイ、ティリンス、オルコメノス等、ギリシア黎明期の文明を明らかにすると供に、これ等文明の源を成しているのが、クレタ文明であると考え、シュリーマン自身もクノッソスの発掘を計画し、現地調査迄行いましたが、実現する事無く世を去ります。

◎クノッソスの発掘

 19世紀も終わりに近い頃、イギリス人アーサー・エヴァンズ(1851年~1941年)がクノッソスを訪れました。
彼は既に著名な考古学者で古銭学に造詣が深かったものの、シュリーマンの様にホメロスやミノス王に纏わる伝説には関心を持ちませんでした。
彼は、この島から発掘された、古代エジプトの聖刻文字に似た、線状文字の粘土板に興味を持ち、その発掘・発見に努めます。

 1900年、19世紀最後の年、同様な粘土版が発掘された、カンディアと呼ぶ都市の近傍、「紳士の頭」(トウ・シェンビ・イ・ケファラ)の丘を買収して発掘を開始しました。
間もなく、数百枚の粘土版を収めた、石造りの貯蔵庫を掘り当て、その貯蔵庫は更に大きな建造物の一部で、広間、通路、階段、柱廊、ホール等が太陽の下に姿を現しました。
彼は25年間の長期に渡り、発掘を続行し、6エーカーに及ぶミノス宮殿の全貌を明らかにします。

 ホメロスは、クレタ島にはクノッソスと呼ぶ大都市が存在し、偉大なるゼウス親友ミノスがその内に在って、九つの海を支配したと述べていますが、人々はこの話を伝説として、誰も信じようとしませんでした。
しかし、ミノス王はもはや伝説ではなく、実在の存在となり、壮麗な王宮の遺跡からヨーロッパ最古の文明の中心地を見ることが出来ます。

ホメロスは、クレタ島を「葡萄酒の様に濃い大洋の最中、周囲に水を回らした美しい豊かな島」と讃えていますが、その中に建てられた、壮大な王宮には数多くの通廊や中庭、真っ暗な回廊、大小幾多の小部屋、そしてそれらを取り巻く通路、階段が点在しこの場所を間違う事なく通る事が出来るなら、当に奇跡と言える程でした。
現在、王宮の大部分は復元され、この為にエヴァンスは私財25万ポンド(当時2億2千万円)を投じたと云われています。
クレタ文化の特徴を示す、下部の細い円柱、部屋、テラスが幾重にも連なり、宮殿の壁面には牛の角、牛と闘牛士、グリフォン、庭を散策する貴公子、宝石と花に彩られた少女等の壁画が、色彩鮮やかに再現されています。

 王宮の地下は文字通り、迷宮の姿を示し、ミノス王自身の玉座の間には、恐らく現存する世界最古の玉座が、4000年の時間を経て存在しています。
ミノス王はこの石造りの玉座に腰を下ろし、妃が半身半獣の怪物を出産した報告を受け、ダイダロスにミノタウロスを幽閉する迷宮を建設する事を命じ、アンドロゲオス王子がアテナイで刺客に倒れ、報復としてアテナイ侵攻を命じ、更にはアテナイの12人の若者を謁見し、アドリアネ姫の逃避行を知ったのでしょう。

 テセウス王子とミノタウロスの伝説が、一定の真理を含んでいる事は間違い在りません。
クレタ島を支配したミノス王は実在し、このミノスの名称はエジプトの「ファラオ」と同じく、王朝全体を意味する言葉でした。
ミノタウロスは神話的な話で在る事には、異論無く、牡牛は力と豊饒の象徴でクレタ島を中心とした信仰が在ったと考えられています。
アテナイから貢物として送られた貴公子達は、この伝説に解答を与える壁画が宮殿の大広間に存在し、大きな牡牛と対峙する男女の闘牛士と関連づけられています。
ラビュリントスの意味は、「ラビュリス(二重の斧)」を意味し、このシンボルはクノッソスにしばしば散見されるもので、更にクレタ文明が紀元前1400年頃滅亡してから、遥か後この地に侵入したギリシア系のドーリア人が、巨大な地下排水設備をラビュリントス(迷宮)と同一視したと考えられています。

続く・・・

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コメント

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こんばんは

ミノタウロスは、力の豊饒の象徴。
そしてきっと、近隣国に貢物を要求したのでしょうね。