2014/04/06

歴史を歩く4

<古代オリエントその4>

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アッシリアの版図 Wikipediaより

(4)古代オリエントの統一

 古代オリエント史は、紀元前2000年から紀元前1500年頃、諸民族の大移動とそれに続く新国家の建設の混乱期を経て、諸国が統合されて行く時代へと変化して行きます。

 その古代オリエントを初めて統一した民族がアッシリアです。
アッシリア人はセム系民族で、紀元前2000年頃、北メソポタミアに都市国家を建設しました。
アッシリアの名称は、彼らが最初の都を、民族神アッシュールの名に因み、「アッシュール神の都」アッシュールと命名したことに由来します。

 しかし、紀元前1500年頃からミタンニに服属、紀元前14世紀頃ミタンニから独立、以後次第に国力を発展させ、紀元前9世紀頃から大発展を遂げて行きました。
アッシリアがその発展段階に於いて、非常な成功を納めた理由はヒッタイトから学んだ鉄器の利用によるものです。
優秀な製鉄技術を持ち、鉄製武器で装備された勇猛果敢な軍隊を率いて、次々と周辺の諸民族・諸国家を征服、紀元前8世紀のティグラトピレセス3世、サルゴン2世(在位紀元前722年~紀元前705年)の時代には大帝国として君臨しました。

 特にサルゴン2世は、イスラエル王国を滅亡させ、エジプトからパレスティナを奪取し、バビロンを陥落させます。
その子セナケリブ(在位紀元前704年~紀元前681年)は、都をニネヴェに遷都、アッシュール・バニパル(在位紀元前669年~紀元前626年)の父の時代、紀元前671年に終にエジプトをその軍門に下し、史上初めて全オリエントを統一したのでした。

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アッシュール・バニパル

 「大征服王」と称されるアッシュール・バニパル治世の頃、史上空前の大帝国に発展、彼はニネヴェに壮大な王宮を造営します。
アッシリア歴代の王は、猛獣狩りを非常に好み、当時シリアからメソポタミア北部に多く群生していたライオン狩りが盛んに行われ、その様子がレリーフに描かれています。
王は又世界最初の図書館を建て、1850年から行われたニネヴェの発掘により、2万点以上の粘土板文書(楔形文字)が発見されアッシリア学成立の基礎と成っています。

 アッシリア王は、専制君主として、軍事・ 政治・宗教を統括し、帝国を州単位に分け総督を派遣して統治させ、又強力な軍事力による圧政と重税、被征服民の強制移住、情け容赦のない大殺戮、大略奪を行い、被征服民族の反乱に絶えず悩まされる結果と成りました。
アッシュール・バニパル治世の時代には、その兄との内紛も発生して帝国は衰退し、紀元前612年、メディア・新バビロニア連合軍の前に首都ニネヴェは陥落、帝国は滅亡しました。

 アッシリア滅亡後、オリエントにはエジプト、リディア、新バビロニア、メディアの4ヶ国が分立群雄割拠し、この時代、エジプトには最後の第26王朝が成立するものの、過去の栄光を取り戻すことは叶いませんでした。
小アジアに建国されたリディア(紀元前670年頃~紀元前546年) は、経済的に繁栄を遂げ、紀元前7世紀後半、世界で最初の鋳造貨幣が使用されました。

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バビロン・イシュタール門

 アッシリアの滅亡後、オリエント諸国の主導権を握ったのは新バビロニア(カルデア)(紀元前625年~紀元前538年)です。
新バビロニアの支配階級はセム系のカルデア人ですが、被支配民は古い伝統をもつバビロニア人でした。
王国の最盛期は、治世40年に及んだネブカドネザル2世(紀元位前604年~紀元前562年)の時代で、侵入したエジプト軍を撃破しシリアを割譲、ユダ王国を滅ぼし「バビロン捕囚」を行い、フェニキア人の都市ティルスを滅ぼし、首都バビロンに壮大な宮殿を造営、経済的繁栄をもたらし、その繁栄は「バビロンの栄華」と呼ばれ、空中庭園やバベルの塔の伝説も生まれたのです。
新バビロニアはオリエント第一の強国に成長しました。

 しかし、ネブカドネザル2世崩御のあと、帝国の勢力は急速に衰退し、紀元前538年アケメネス朝ペルシアによって滅ばされます。

メディア(?~紀元前550年)は、紀元前9世紀頃ペルシア北西部の山岳地帯に入ったインド・ヨーロッパ語族(アーリア人)のメディア人が、紀元前8世紀末に建国、紀元前7世紀に新バビロニアと連合してアッシリアを滅ぼし、イラン高原を支配下に治めて大帝国を建設しました。

 メディアに臣従する王として、イラン高原の南西部のペルシス (パールス)地方(ペルシアの名の起源)を支配していたキュロス2世 (紀元前600年頃~紀元前529年)は、やがてメディアに反旗を翻し、紀元前550年終に盟主であったメディアを滅ぼして、アケメネス朝ペルシア帝国(アケメネスはキュロス2世の4代前の王国の始祖の名)を興し、次いで紀元前546年にはリディアを滅ぼし、紀元前538年には 新バビロニアを滅ぼし、ここに「バビロン捕囚」からユダヤ人を解放しました。結果、エジプトを除く全オリエントを統一、以後200年以上続く大帝国と成る、アケメネス朝ペルシア帝国の基礎を築いたのです。

 2代目カンビュセス2世 (在位紀元前530年~紀元前522年) は、紀元前525年に、父以来の宿敵エジプト征服を完遂します。

 アケメネス朝3代目の王が、史上有名なダレイオス1世(大王)(在位紀元前522~紀元前486年)です。
彼は王家の中では分家の出身ですが、キュロス2世の娘と結婚し、カンビュセス2世死後の反乱を鎮圧して即位しました。
彼は治世の間に、東はインダス川流域から西はエジプト、マケドニアまでを征服し、アジア、アフリカ、ヨーロッパの3つの大陸にまたがる世界史上始まって以来の空前の大帝国を築きあげます。

 この大帝国の統治にあたっては、全土を20の州に分け、王が任命するサトラップ(知事、総督)を派遣して統治させ、更にサトラップの監視のために「王の目」「王の耳」と呼ばれた直属の監察官をも派遣し、州を巡察させました。
首都スサに大宮殿を造営、新都ペルセポリスにも壮大な宮殿を建設し、首都と各都市を結ぶ軍道 (「王の道」)を建設するとともに、駅伝制を確立しました。
因みに、スサと小アジアのサルディス間は2600km、途中111の駅を設置、役人と馬を常に配置し、 隊商隊が90日かかるこの距離を7日で連絡したと云われています。

 更に彼は大帝国を統治する財源を確保するため、ダレイオス金貨を鋳造して貨幣を統一し、 税制を整備、フェニキア人の海上貿易を保護して税収の増大を図りました。

 宗教については、彼自身はゾロアスター教を信仰したが強制せず、服属した異民族には固有の信仰を認め、また風俗・習慣も認める等寛容な統治を行い、その結果アケメネス朝は200年以上にわたって存続したのです。

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ギリシア・ポリス連合軍重装歩兵

 しかし、 商業圏をめぐる争いから小アジアのギリシア植民市が反乱を起こし、 ギリシア遠征を行います。
これが有名なペルシア戦争(紀元前500年~紀元前449年)であり、 第1回目の失敗の後、第2回目の遠征でもマラトンの戦い(紀元前490年)に敗れ、更なる遠征を準備中にダレイオス1世自身が病没します。

 彼の死後、7代、8人の王が150年間帝国を支配しますが、最後の皇帝ダレイオス3世(在位紀元前336年~紀元前330年) は、 アレクサンドロス大王の侵入を受け、アルベラの戦いに敗れた後、バクトリア (中央アジア)に逃れますが、同地のサトラップに暗殺され、ついにアケメネス朝 ペルシア帝国は紀元前330年に滅亡します。

 ペルシア人は、ゾロアスター(ツァラトゥストラ)(生没年不明、 前7世紀頃)が30才頃、天啓を得て預言者となり、伝統的信仰の改革を進めて創始したといわれるゾロアスター教を信仰しました。
その教義は、善神アフラ・ マズダ(光明・善神)と悪神アーリマン(暗黒・悪神)の対立を前提とする 二元論で、善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの抗争で善神が勝利すれば、それが我々の世界に反映されこの世は平和で良い世界に成り、反対の場合は この世は乱れ悪いことが起きると考える、善神と悪神の優越は3000年毎に交替し、9000年または12000年目に決定的戦闘の結果、善神が勝利し善の世界と成り、人々の霊魂が救われると教えました。
従って人間は善神に味方しなければならず、そのためには厳しい戒律が必要とされました。

 善神アフラ・マズダは光明神であるので、火が神聖視され、儀式には盛んに火が起こされ、後に中国に伝来した時、「けん教」「拝火教」と呼ばれ、ゾロアスター教の最後の審判、天国と地獄、天使と悪魔の思想はユダヤ教やキリスト教にも影響を及ぼしています。

 イランのベヒストゥーン碑文は、ダレイオス1世が戦勝を記念して刻んだものであり、捕虜を引見する王とアフラ・マズダ神の浮彫、そして銘文が楔形文字でペルシア語、エラム語、バビロニア語をもって書かれています。
これをローリンソンが転写研究し、楔形文字解読に成功したことは最初に書いた通りです。
アケメネス朝の時代にはペルシア語を表すために楔形文字が採用され、いわゆるペルシア文字がつくられました。

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アッシリア軍団

◎アッシリア人

 世界史の教科書で、アッシリア人は、ペルシア人に先立って紀元前7世紀に古代オリエントを最初に統一した民族として紹介されています。
王都ニネヴェには世界最古の図書館があって、くさび形文字で書かれたおびただしい数の粘土板文書が出土した事は、本文でも紹介しました。
圧政がたたって支配下にあった諸民族の反抗を招き、帝国はわずか数十年で滅亡、以降アッシリアという名が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。

 しかし、2500年という時を経て、アッシリアの人々は歴史の生き証人のごとく生きていました。
チグリス川の遥か上流、現在のイラク西北部を中心に彼らはたくましく生き続けてきたのです。
かつての栄光の民の末裔であることを誇りにして。

 14世紀のティムール軍による大虐殺、まだなお生々しい第一次大戦中のトルコによるジェノサイド。これらを乗り越えてきた彼らの歴史は凄まじものが在ります。

ジョークは如何?

ソビエトにて、ソフホーズ(国営農場)の看板が2枚。
「民主主義は今や崖っぷちに立たされている!」
「社会主義は民主主義の一歩先を行っている!」
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コメント

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こんばんは

アッシリアもやはり鉄が重要な役割を果たしましたね。
日本でも古代で鉄は重要でした。
ただアッシリアの様な、力の統治は長くは続きませんね。

ことづてありがとうございます

旅行が好きなもので拝見しています

)ノ” コンチワー
ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよう
  (^^)>今日もよろしくお願いします
暑い日寒い日が続き体の調子を崩しやすい時期です
風邪をひかないように気を付けてください