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2014/04/25

歴史を歩く9

<ギリシア世界その5>

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(6)ギリシア文化①

 ギリシア人は、東方の先進文化であるオリエント文化の影響を受けながらも、自由なポリスの市民生活の営みの中から、独自の人間中心的、現実的、合理的文化を創造しました。
広義でのヘレニズム(ギリシア風文化)は、ヘブライズム(キリスト教)と共にヨーロッパ文明の二大潮流として後世に大きな影響を及ぼしたのです。

トティティスゼウス
ゼウスとティティウス

 ギリシア人はゼウスを主神とするオリンポスの12神等、多くの神々を信仰し、彼らが信仰した神々は、人間と同様な系図を持ち、喜怒哀楽の感情を持ち、恋愛をし、時には嫉妬もする人間的な神々ですが、人間との最大の違いは不老不死であることでした。
この人間的な神々の姿はギリシア神話に生き生きと描かれています。

 文学では、神話の中から生まれ、神々や英雄の活躍を描いた叙事詩が紀元前8世紀から紀元前7世紀頃に盛んと成り、最古の大叙事詩である「イリアス」と「オデュッセイア」の 作者であるホメロス(生没年不明、紀元前8世紀頃 )は盲目の詩人でした。

ホメロス礼賛
ホメロス礼賛

 「イリアス」はトロヤ戦争が10年目を迎えた時、その49日間の出来事を総指揮官アガメンノンと第1の勇者アキレウスの対立を軸に描いています。
「オデュッセイア」はその後編に位置し、トロヤ戦争が終わって諸将が帰国した後も、イタカの王オデュッセウスはトロヤの神の怒りに触れ、10年にわたって海上を漂流し、様々な冒険・苦難の末に帰国に成功するまでが描かれています。
この二大叙事詩は、今日に至るまで世界中の多くの人々に愛読されています。

 ヘシオドス(紀元前700年頃)は、「労働と日々」で知られていますが、この作品は小土地所有農民であった彼が、怠惰な弟への戒めの形で書かれたもので、人間は額に汗して働くべきであると、勤労の尊さを歌いました。
彼には、神々系譜を扱った「神統記」があり、ホメロス以来の大叙事詩人とされています。

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サッフォー

 紀元前7世紀から紀元前6世紀の貴族政の末期になると、人々の感情を歌った叙情詩が盛んと成り、有名な女流詩人のサッフォー(紀元前612年頃~? )は、レスボス島の富裕な家に生まれ、少女時代をシチリアで過ごし、帰郷後、宗教団体をつくり、少女達と生活を共にし、詩や音楽を教えたとされています。
恋愛詩が現在でも残っていますが、 少女達への激しい情熱を歌っているところから、「レスボスの女」からレスビアン(同性愛)なる単語が派生しました。
後に彼女の詩は情熱の明白な描写から禁書と成ります。

 更に恋と酒を歌ったアナクレオン(紀元前560年頃~? )、オリンピアの競技祝勝歌で有名なピンダロス(紀元前518年~紀元前438年)等が活躍しました。

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ギリシア時代の劇場風景

 紀元前5世紀のアテネ民主政全盛期に盛んとなったのが演劇です。
演劇はギリシア文化を代表する分野であり、優れた作品は今日でもしばしば上演されています。
演劇は、元来はぶどうの神、ディオニソス(バッカス)に捧げる祭礼でしたが、国家の祭典に伴う行事となり、この頃からコンクールの形を取るように成りました。
市民から選挙と抽選で選ばれた5人の審査員の投票により順位が決められ、優勝者にはオリンピア競技の優勝者と同様の称賛が与えられたので、多くの劇作家が競って優れた作品を発表したのです。

 その為に立派な野外劇場が建設され、現在迄保存されており、その音響効果のすばらしさで有名なペロポネソスの「エピダウロスの劇場」、アテネの「ディオニソスの劇場」が特に有名です。
多くの劇作家の劇が上演され、競いあったなかでもアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスは三大悲劇詩人と現在でも讃えられています。

縛られたプロメテウス
縛られたプロメテウス

 アイスキュロス(紀元前525年~紀元前456年)は、マラトン、サラミスの戦いにも参加している人物ですが、悲劇作家として活躍し、約90の作品を書いたと伝えられますが、その殆んどは散逸し、現在に伝えられる作品は7編のみです。
「ペルシア人」「アガメムノン」「縛られたプロメテウス」等が代表作品とされ、先に記述した悲劇のコンクールでもしばしば優勝の記録が残っています。

 ソフォクレス(紀元前496年頃~紀元前406年)は、処女作で優勝を果たし、以後120編以上の作品を書き、24回の優勝を経験し、代表作の「オイディプス王」他7編が現存している。

エウリピデス (紀元前485年頃~紀元前406年頃 )新しい手法を模索した結果、優勝回数は5回と少ないものの、18編が現存しており、特に「メディア」は代表作とされています。
彼以後、悲劇は急速に衰え、紀元前5世紀から紀元前4世紀には喜劇が隆盛と成っていきました。

 悲劇とは、不老不死の神と違い、いつか死ぬ運命にあり、しかも神の意志によって運命が決められる人間そのものが悲しみで、神に操られる人間の運命を題材としましたが、これに対して喜劇は、権力や金に固執する人間や社会の批判・風刺を題材としています。

 代表的な喜劇作家がアリストファネス(紀元前445年頃~紀元前385年頃)で、彼の青年時代はペロポネソス戦争の時代で、戦乱に明け暮れた期間に辺り、アテネは当にデマゴーグの時代、ポリス社会が腐敗・衰退していく時期でした。
その様な中で彼は平和を念願し、デマゴーグを徹底的に批判したのです。
喜劇44編の内、現存する作品は11編で、「女の平和」「女の議会」「雲」「蜂」等が代表作品として知られています。
紀元前411年に上演された「女の平和」は、アテネとスパルタ双方の女達が、夜の営みを拒否する事によって戦争を中止させる反戦劇でした。

 美術の分野では、絵画は壺絵等に盛んに描かれましたが、後世で云う処の絵画は発達せず、彫刻が中心となりました。
背景として、ギリシアでは彫刻に適した大理石が用意に取得できた事も1つの要因と考えられます。

 最も代表的な彫刻家はフェイディアス(紀元前490年頃~紀元前430年頃 )で、彼はアテネ在住の人物で神像彫刻に優れ、ペリクレスの知遇を得て、パルテノン神殿造営の監督を引き受けました。
パルテノン神殿の「アテナ女神像」は代表作なのですが、現在ではコピー作品が伝わるのみです。

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アテナ女神像

しかし、フェイディアスは、パルテノン神殿造営で不正があったとして摘発され、獄死したと伝えられています。
更に「円盤投げ」で知られるミュロン(紀元前5世紀)、「オリンピアのヘルメス像」で有名なプラクシテレス(紀元前4世紀)等が活躍しました。

 ギリシア美術を代表するものの一つが、神殿を中心とする建築分野で在り、特にパルテノン神殿は荘重なドーリア式建造物の代表で、ペリクレス時代に建立され、先にも記した様にフェイディアスが造営監督を務めました。
現在もアテネのアクロポリスの上にその姿を留めていますが、ギリシア政府はその保存に相当な苦労を強いられていると云われています。
神殿建築様式は時代と共に変化しており一般的には、ドーリア式からイオニア式、そしてコリント式へと変化し、特に列柱形式にその特色が顕著に表れています。
優雅なイオニア式、華麗且つ技巧的なコリント式と表現されています。

ジョークは如何?

1990年から2000年までの10年は「失われた10年」と呼ばれている。何が失われたか?
それは
アメリカにとっては政治的威信が
ロシアにとっては軍事的威信が
日本にとっては経済的威信が
失われたのである。

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