2014/05/10

歴史を歩く13

<ヘレニズム世界その②> 

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ヘレニズム時代の地中海世界

(1)ヘレニズム時代②

 アレクサンドロス死後、ディアドコイ(「後継者」)と呼ばれたマケドニアの武将達が、領土をめぐって争い、紀元前323年から紀元前301年(若しくは紀元前281年、紀元前276年)迄「ディアドコイ戦争」の時代と呼ばれます。

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ディアドコイ戦争(イメージ)

※主なディアドコイは以下、

 カッサンドロス(紀元前358年~紀元前297年)
大王の死後、マケドニアとギリシアの大部分を領有し、大王の異母弟のフィリッポス3世・母・子のアレクサンドロス 4世・妻を次々に暗殺、紀元前301年のイプソスの戦いではリュシマコスと結んで命の尽る迄マケドニアを死守しました。

 アンティゴノス1世(紀元前382年頃~紀元前301年)
マケドニアの下級貴族に生まれ、部将として東方遠征に従軍、翌年小アジアペリギア総督に任命され、 支配地を拡大、大王の死後、マケドニア、小アジアを領有し、紀元前306年に王を称し、エジプトに侵入するものの、紀元前301年のイプソスの戦い(アンティゴノス、 デメトリオス父子対セレウコス、リュシマコス連合軍 )に敗れて戦死、その領土は勝者に分割されました。
後年、孫のアンティゴノス2世がケルト人を撃退し、マケドニア王に承認され、アンティゴノス朝(紀元前276年~紀元前168年)の開祖と成ります。

 セレウコス1世(紀元前358年頃~紀元前280年)
マケドニア貴族出身、部将として東方遠征に従軍、大王の死後バビロニア総督、大王領のうちシリアから中央アジアを領有、王を称しセレウコス朝(紀元前312年~紀元前63年)の開祖と成ります。
紀元前301年のイプソスの戦いではアンティゴノス1世を、紀元前281年にはリュシマコスを破るものの、マケドニア遠征中にプトレマイオス1世の子に暗殺されます。

 プトレマイオス1世(紀元前367年頃~紀元前283年)
マケドニア貴族出身、大王の部将、大王死後エジプトに赴き、大王が任命した総督を追放しエジプトを支配下に治め、紀元前304年に王を称し、プトレマイオス朝(紀元前304年~紀元前30年)を打ち立て、以後東地中海に領土を広め、アレクサンドリア市の運営に努め、王朝の基礎を築きました。

 「ディアドコイ戦争」の後、それ迄のアレクサンドロス大王領はシリアから中央アジア迄を領有するセレウコス朝シリア、エジプトのプトレマイオス朝 エジプト、マケドニア、小アジアの諸王国の4つに固まります。

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アレクサンドリア図書館
 
 プトレマイオス朝エジプトは、「ヘレニズム三国」の中で最も繁栄した国家と成り、王は全国土を所有し、神として専制政治を行いました。
その首都アレクサンドリアは、ヘレニズム時代を通じ、人、物の集積地として栄華を極めた都市でした。

 プトレマイオス1世はアレクサンドリアに「ムセイオン」(Museion、英語の museum(博物館)の語源)を建設し、学者を集め、付属大図書館を設け、文化を保護奨励した結果、アレクサンドリアはヘレニズム文化の一大中心地に成長し、自然科学研究の中心と成ります。
一方アレクサンドリアは大貿易港でもあり、インド、アラビア、アフリカの産物が集まり、小麦等が地中海に輸出され、当時の人口は100万人を超えたとも云われており、「アレクサンドリアにないものは雪だけである」の言葉は今でも有名です。

 プトレマイオス朝エジプトはヘレニズム世界の中心として、約300年間存続しましたが、紀元前30年、最後の女王クレオパトラ7世の死と共に滅亡します。

 セレウコス朝シリアは、嘗てのアレクサンドロス大王領の大部分を支配下に治めましたが、その領土は余りにも広大に過ぎ、民族構成上でも複雑な内部事情でも在った為、王朝初期の段階から領土の分裂作用が発生し、首都も最初ティグリス河畔のセレウキアに定められますが、やがてシリアのアンティオキアに遷都され、この出来事はシリアが王国の中心となったことを示しています。

 セレウコス1世の死後約30年後、中央アジアに移住していたギリシア人が独立してバクトリア(紀元前255年頃~紀元前139年)を建国し、同様に遊牧イラン人もパルティア(紀元前248年頃~紀元後226年)を建国します。
セレウコス朝は 紀元前2世紀に入ると、パルティアに次々と領土を奪われ、シリアを領有するのみとなり、紀元前63年にはローマのポンペイウスによって滅亡します。

(2)ヘレニズム文化

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ラオコーン

 ヘレニズム時代、ギリシア人が盛んに東方に移住した結果、ギリシア文化が広く普及し、東西文化が融合し、新しい文化が生まれました。
これをヘレニズム文化と呼びます。

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ミロのヴィーナス

 美術は、華麗・技巧的・誇張的な面が強くなり、建築ではコリント式がこの時代に流行します。
1820年にミロ島で発見された「ミロのヴィーナス」、ギリシア神話に題材を取った「ラオコーン」が有名です。

 ヘレニズム時代には、ポリスが崩壊し、ギリシア人の民族意識が衰えるなかで、従来、人々の行動の規範となっていた「ポリスの人間として如何に行動するか」、「ポリスの為に何を成すべきか」と云うポリス社会の規範が無意味となり、人々の思考・行動の規範は「個人として如何に生きるべきか」 と云う個人主義、「ヘレネス(ギリシア人)もバルバロイ(野蛮人、ギリシア人以外の人々)も無い、同じ世界の人間だと云う「世界市民主義 (コスモポリタニズム)」の風潮が強まりました。

 この風潮を反映して、哲学も政治から逃避し、個人の安心立命を求める、エピクロス派や ストア派が盛んとなった。

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アテナイの学堂よりエピクロスとゼノン

 エピクロス(紀元前342年頃~紀元前271年頃 )はサモス島に生まれ、紀元前306年にアテネに移住し弟子を教えました。
彼は、哲学について幸福を得る手段と考え、幸福=快楽=善と考える快楽主義を唱えたのですが、ここで彼の言う快楽とは、 死や神への恐怖を免れ、肉体に苦痛がなく、心が平穏な状態を快楽と呼びました。
節度のある快楽、精神的な快楽こそが幸福であると考えたのです。

 ストア派の祖、ゼノン(紀元前335年~紀元前263年)は、キプロス島に生まれ、純粋のギリシア人でなく、フェニキア人との混血とも言われています。
22才の時アテネに出て学び、35才頃から講義をして絶大な人気を得ました。
彼は幸福とは「心の平静」な状態にあるとし、そのために理性による欲望のコントロールを主張します。

 ヘレニズム時代には、自然科学が盛んと成り、自然科学研究の中心地であったアレクサンドリアでは多くの学者が活躍しています。

エウクレイデス
エウクレイデス

 有名な数学者エウクレイデス(ユークリッド)(紀元前300年頃)はアテネで学び、アレクサンドリアのムセイオンで活躍しました。
彼が大成した平面幾何学は「ユークリッド幾何学」として、現在に至るまで学校で学ばれており、「幾何学に王道なし」は彼の言葉として有名です。

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アルキメデス

 数学者・物理学者として有名なアルキメデス(紀元前287年頃~紀元前212年)もシチリアに生まれ、アレクサンドリアのムセイオンで学問を修め、円周率の近似値を求め、梃子や浮力の原理(「アルキメデスの原理」)、比重の原理を発見したことでも有名です。

 ムセイオンの館長を務めたエラトステネス(紀元前275年頃~紀元前194年)は地球周囲の長さを測定したことで有名で、彼は約45000kmと測定しましたが、これは現在の約40000kmにほぼ近い数値です。

 更に天文学者のアリスタルコス(紀元前310年頃~紀元前230年頃)は地球は太陽を中心にして円軌道を描いて回転する太陽中心説・地動説を唱えました。
しかし、この説は当時は受け入れられず、16世紀のコペルニクス、ガリレイの時代にやっと認められることになります。

ジョークは如何?

現代とは何か?

過去も未来もない韓国の象徴である。

続く・・・

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コメント

非公開コメント

ミロのビーナスいいね~

(/・o・)母の日です
( ノ゚Д゚)おはようさん、
今日も楽しく元気にいきましょう

こんばんは

ギリシアの科学は本当にすばらしい。
アンティキテラの機械等は奇跡です。
科学にとっては、その後の中世の暗黒時代が残念ですが、あの時代もなければ科学は暴走したかもしれませんね。