<ローマ帝国 番外編>
生死をかけた見世物◎グラディエーター Russell Crowe主演の「グラディエーター」は、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの晩年を描いています。
これまでも「シーザーとクレオパトラ」「ベン・ハー」等、ローマ時代を映画化した作品は数多く、リバイバル作品も多数存在しています。
gladius とは短剣の意味で、gladiator とは剣闘士を指します。
「剣奴」等とも訳され、彼らはコロッセウムの5万人の観衆の前で「真剣」勝負を演じました。
市民達の慰めものとして皇帝等が主催したイベントですから、残酷、かつ刺激的なショーでなければならかったのでしょう。
では一体どの様な人達がグラディエーターに成ったのでしょうか?
多くは戦争捕虜や犯罪者達で、彼らは厳しい訓練を受けて拳闘士としてデビューを果たしました。
あまり有能でない、つまり見せ物にならない様な犯罪者は、時には素手でライオンと戦わされてその餌にされた事も在った様です。
更に女性がこの見世物に出演していたという珍しい記録も残っています。
グラディエーターはある意味で貴重な財産ですから、殺される直前にストップをかけ、次の試合にもう一度使うといった選択肢もありました。
記録では一日の試合に18人が出演し、半分は勝者、9人の敗者の内、生かされたのは6人で、残る3人は実際に死亡している、割合だった様です。
勝ち続けて人気の在る勝者となった成功者は、解放され自由の身となりましたが、しかし、あえて「職業」として舞台に立ち続けた人も結構存在したのです。
一度味わった大観衆の熱狂が忘れられなくなってしまったとしたら、どこか現代スポーツに通ずるものがあります。
テルマエ・ロマエより◎ローマの風呂 遠くの山の水源から都市に水を供給する技術を持っていたローマ人は、900もの公共浴場を作りました。
しかも風呂だけでは無く、サウナ、トレーニングルーム、ファストフード店(!)も完備し、少なくとも一日に1回はここへ足を運ばなければ気が済まなかった市民たちの社交場でした。
同時に彼らは温泉の効用にも精通しており、各地に温泉を見つけては、保養所、療養所を作りました。
イギリス南西部のバース(Bath)はかつてこの地に進出したローマ人が開いた温泉地です。
今も1日に120万リットルもの温泉が涌き出ますが、bath(風呂)という言葉がこの町の名前から生まれたことは良く知られています。
bath がドイツ語の bade になり、ドイツのBaden Baden、スイスのBaden、オーストリアのBaden Bei Wien 等の都市名に成りました。
フランスのAix-Les-Bains、ルクセンブルクの Mondorf-les-bains などもbain(風呂)とともに発展した町で在り、いずれもローマ時代ゆかりの温泉地です。
ハンガリーにはローマ時代の温泉地が、ブダペストを中心に100以上残っており、ルーマニアにもローマ人が開いた温泉が今なお多くの人を集めています。
ベルギー東部のリエージュ州にスパという町があります。
ローマ時代に人がよく訪れるようになり、温泉地になりました。
温泉を指す「スパ」という言葉はこの町の名前から生まれたと云われています。
因みにクアハウス(Kurhaus)はドイツ語で温泉療養所を意味し、kur はラテン語の「cura」(心配、心遣い、配慮、世話)から来ており、「manicure」(マニキュア、 manus(手) のcura)と同語源の「療養」、「養生」、「治療」を意味する言葉だそうなので、これもまたローマとの深いつながりを暗示しています。
ジョークは如何?
石原莞爾の東条英機への痛恨の一撃
極東軍事裁判といえば、戦後敗戦国となった日本の指導者を戦勝国の側から裁いた国際法廷であるが、日本側証人として石原莞爾という軍人が出廷した。米国の検事が「証人は当時の東条首相と意見が対立していたと言われているが・・・」と質問したときに、石原は胸を張って「私は意見を持っていたが、東条には思想や意見などなかった。意見のない者と私の見解が対立することはありえない。」と答えたそうである。
つまり、東条英機を定見のないバカと暗にこき下ろしているわけである。
続く・・・
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コメント
テルマエロマエ見ました
Λ_Λ お水あげましょ♪
( ・∀・) サラサラサラ
◁ ▷C☒*。・。・( ノ゚Д゚)おはよう
ⅴーⅴ
✿✿✿
今日もよろしくお願いします
2014-06-18 06:26 流木庵{え~ちゃん} URL 編集